つづき

 

思井へ

 

 

 

奥まった坂道を登っていく

 

これぞ昔の流山ぽいけど

 

まだ残っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊野神社

 

八木郷の発祥の地

 

櫛御気野命(くしみけのみこと)は素戔嗚尊の別名

 

出雲国の一宮である熊野神社の主祭神

 

 

紀州の熊野本宮は家津御子大神(けつみこ)といい別名は須佐之男命

 

どちらもスサノオノミコト

 

 

ややこしいけど流山民話では和歌山県の熊野権現系

 

本地仏(神と結びつけられた仏)は 阿弥陀如来 とされる

 

熊野のシステムは説明が難しい

 

馬橋の王子神社も熊野系といわれる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八咫烏を探すも見つからず

 

日本サッカー協会のマークは熊野神社の八咫烏なのだが

 

再建前まではあったのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿の彫刻も特に変わったところはない

 

中央の龍が個性的だが確認が難しい

 

 

 

 

 

 

 

 

庚申塔の下の三猿が個性的

 

一般的には、見ざる・聞かざる・言わざるの順番だが

 

変則的なのが多いのが特徴

 

 

 

 

 

 

 

熊野神社は元々は山や滝などの

 

自然崇拝から生まれてるといわれる

 

森に自然に配置されている石宮

 

 

 

 

 

 

 

 

お城や砦には竹が植えられているという

 

竹の子は食べれ、大きくなれば武器にもなる

 

 

流山市は新川村・流山町・この八木村が合併し誕生した街

 

八木の字は学校と橋に残り、隣の三郷市に八木郷がある

 

矢木郷は中世からある地域名

 

なのに扱いが寂しい・・・思井の想いとは・・・

 

 

矢木の矢とオビシャの弓の関係はいかに

 

 

 

移動

 

 

 

 

最近建て替えた天満宮

 

天神様こと菅原道真を祭る

 

 

TXの線路沿いからの移転された神社

 

 

市野谷は一の矢

 

8本揃うと八木だけど

 

 

ピンからキリまでとは

 

花札の1月から12月までのことで

 

12月は「桐と鳳凰の札」でキリ

 

「桐ケ谷」という地名はかなり古くからある

 

 

 

 

 

 

 

 

新品は気持ちいい

 

最初はみんなこういう感じで始まり

 

何千年もの時を積み重ねてきている

 

 

 

 

 

 

完成前の拝殿

 

 

天神様は学問の神様だけど「雷」を落とす

 

落ちないように「桑原、くわばら」と唱える

 

災難除けのおまじない

 

 

「加」の地名の由来は桑原が訛ったといわれる説もある

 

桑原郷の候補地

 

 

 

 

桑原は東福寺に南の辺りに小字が残る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土地のなれそめは石に刻まれ永遠に受け継がれる

 

ポーネグリフ

 

土地問題・領土問題はいつの時代も大変なもめごと

 

 

 

 

 

 

大畔へ

 

 

 

 

稲荷神社なのだが

 

狛犬がキツネではない系

 

近所には天満宮があるのだが

 

「天満天神宮」と書かれている

 

 

大畔(おおぐろ)という地名は「大黒天」にちなんでいる

 

といわれるのだが大黒様が見当たらない

 

 

 

 

 

 

 

注目はこの『三ヶ月不動明王』

 

 

三ヶ月(みこぜ)の地名は松戸市にある

 

だけど神社の名は「三日月神社」

 

山形県の月山の月読命を祭る

 

元は馬橋(三ヶ月)にあったのがこっちに移転したのだろうか

 

なぞ

 

 

 

 

 

そして本殿の裏にある小さな祠

 

 

狐様は確認できるが何かが剝がされている

 

金銀藤波大善神の文字は確認できるが

 

妙長も・・・微妙

 

なんだろうか

 

 

 

 

 

 

三輪野山へ

 

 

 

茂呂神社

 

江戸時代までは三輪神社(三輪明神)と呼ばれていた

 

神仏分離で神宮寺は廃寺となる

 

名前と宗派は謎

 

 

 

 

 

名残は入り口の左側に並んでいる

 

意外と気が付かない

 

 

 

 

 

 

 

 

不動明王と妙見大菩薩が有名で

 

妙見様と言ったら平家の千葉一族

 

お不動様は真言宗が多い

 

小さい石像は大師様かも

 

「待道大権現(まつどだいごんげん)」は、主に千葉県の利根川流域(柏市や我孫子市など)で江戸時代から明治時代にかけて信仰された、安産や子育てを願う民間信仰の神仏です

 

 

 

 

 

 

鳥居に草履

 

 

旅人をねぎらっているそうだけど

 

 

ここの情報が無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茂呂神社は大和国の大神神社と同じ大物主を祭る

 

大物主は大国主と大黒天と同一人物

 

出雲大社も大国主

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヂンガラ餅行事」というのが珍しい祭り

 

 

8升の御神酒、上3升・下5升の丸い餅を重ねた8升の鏡餅、野菜や果物、海産物など8種類の供物が神前に供えられます

 

 

八づくしで「八木の発祥」ともいわれる

 

八+木=米

 

88と書いて米などお米に関する伝説

 

大黒様も米俵の上に乗って打ち出の小づちをもっているスタイル

 

スサノオは大国主の先祖

 
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 
八重垣つくる その八重垣を

 

八の持つ意味は

 

八重塚の地名が加にある

 

 

「にほ鳥の 葛飾早稲を にへすとも そのかなしきを 外に立てめやも」

 

という石碑

 

三郷市側に早稲田という地名があるけど実はこっちかも説

 

男衆が餅を奪い合う様子は愛しき 外に立たせておけない

 

 

・茂呂神社名

 

・八木地名

 

・早稲田地名

 

 

と「名」の伝承の奪い合い

 

 

名都借

 

 

 

 

 

奈良っぽく鹿の灯篭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大和国から来た一族かと思いきや

 

「下毛野君」とは今の栃木県(下野国)から来た一族(子孫)で

 

ご先祖の大和の地の名を付けたという経緯

 

 

第10代崇神天皇の第1皇子が豊城入彦命でその子孫が下毛野君となると

 

年代が古墳時代から奈良時代となるので邪馬台国の卑弥呼のいた時代となる

 

空白の4世紀

 

倭の五王

 

 

 

鰭ヶ崎から三輪野山まで参道だったとなると

 

仏教伝来と同じ時期に三輪山ができ

 

平安時代に東福寺ができそこへ赤城山が流れてきたのかも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この森のところが昔、神宮寺があったとされる

 

この裏手が坂になっていて低地になっている

 

 

鰭ヶ崎からここ三輪野山までが古代官道という考察がある

 

第一次古代官道

 

 

北の深井には鉄を作る窯が見つかっている

 

鉄の文明が奈良時代からあることが確認

 

 

 

 

がしかし、奈良平安時代の情報が少なすぎる

 

貝塚や古墳は見つかり武人や婦人の埴輪は見つかるも

 

それが先住民なのか大和朝廷なのか不明

 

敗者の歴史は抹消され官軍の歴史となっている

 

あとは神話や民話をどう解釈するのか

 

それすら編集されているかもしれない

 

証拠がない限り立証するのは難しい

 

 

そこで妄想力

 

想像力は知識や事実に基づいて創造するけど

 

妄想力は少ない情報やありもしないことを勝手に作る力

 

いい意味での仮設

 

 

「じゃないか」の積み重ねが真実へと近づく

 

そう妄想します

 

 

 

そもそも古代日本人は自然崇拝

 

何もないんじゃなく自然と共存していく文明だった

 

世界的にみるとそれは文明とされていないけど

 

土器で煮物を作ったのは世界初とされる

 

立派な文明だが歴史は勝者によって造られる

 

日本の歴史も天皇家から見てのもの

 

「事実なんてないあるのは解釈」

 

何を信じ何を疑うか

 

 

 

 

伝説や伝承を地名の残す想い

 

先人からのメッセージではないだろうか

 

それを読み解くのが楽しい

 

では