午後は、従軍慰安婦の方のお話を伺うため、被害者の女性たちを支援をしているNGO訪問に行きました。
従軍慰安婦とは、第二次世界大戦中に日本軍兵士たちが駐留する国の女性たちを誘拐同然に連れて行き、兵士たちの性的奴隷として扱われた女性たちです。
私は学部のスタディツアーで韓国に行ったとき、はじめてこの問題に触れたのですが、フィリピン、インドネシア、マレーシアと、東南アジアにも被害を受けた女性が多くいるそうです。
彼女たちは戦後しばらくこの事実をおおやけにせず、一人で抱えていたのですが、90年代になりはじめて一人の女性が話しはじめたことをきっかけに、どんどん広まっていったようです。
しかし、戦後65年以上がたった今、多くの被害女性たちは亡くなり、訪問したNGOでも語り部の方は現在一人しかおられないそうです。
Lora(フィリピンの言葉でおばあちゃん)のお話を聞きながら、私は通訳をしていたのですが、日本語にするのもためらってしまうくらい、本当にひどいことを日本人はしてきたんだなと思いました。当時15歳の少女に、どれだけの深い傷を残したんだろうということは、まるで昨日の出来事のように言葉をつまらせ涙を流し、辛そうに話しているLoraを見て痛いほど伝わってきました。彼女だけでなく彼女のおばあちゃんも、戦時中に日本兵に慰安婦のようなことを強いられていたようでそれがすごく辛かったそうです。
それだけでなく、戦争が終わってからも、家族や夫から見下されたような態度を取られ、二次的被害もすごく大きかったようです。
しかし、日本政府はこの件に関して、もう何十年も前のことだから、といまだに賠償を行っていません。
被害者の方々は昨日のことのように鮮明に覚えているのに。謝罪や賠償をすることに、遅いも早いもあるのでしょうか。
このような話を聞くことは、同じ日本人として、正直とても恥ずかしい思いでいっぱいです。
でも同時に、この事実は日本人として知らなければならないと強く思いました。
特に、戦争を知らずに生きている私たちの世代は、昔日本人が海外に行ってどれだけひどいことをしたのか、それによって傷つきながらも懸命に生きている人たちがどれだけいるのかを知るべきだと感じました。それが、 今を生きる日本人として彼女たちにできるせめてもの謝罪になるのではないでしょうか。
Loraも最後に言っていました。こうして話をすることは、過去の辛い経験を思い出さなければならずすごく辛いけれど、こうして若い人たちが興味を持って話を聞きにきてくれることはすごくうれしい。だって、人間は普通暗くて嫌な話を聞きたいとは思わないから。そして、こうして話を聞きにきてくれることが、わたしの慰めにもなる、と。
こう思えるようになるまで、一体どれくらいの時間がかかったのでしょう。私が同じ立場だったら同じように思えるのだろうか。こんなに辛い経験、誰にも話したくないと思いながら一生を終えるのではないだろうか。いろいろな思いがよぎりました。
こんな歴史はもう二度と繰り返されるべきではありません。
このお話を通して、いままで自分の中でぼんやりと持っていた問題意識がだいぶはっきりしてきたように思います。
それについては、また今度。
次回はおととい訪問した韓国系のNGOについて書きます(^ ^)