家族がERを経てHCUに着替えを届けにいくことになりました
妹は以前の記憶が浮かんできたようで気持ち悪くなってきた、
ドキドキふらふらしてきた、、と言いました
強烈な記憶とはそれほどの影響力があるのですね
私も7年前の父のALSの看護のことを思い出しました
ALSとはほんとうにほんとうに残酷な病気です
以前にアイスバケツというイベントがありましたがALSの認知と研究費のためということでしたが
巷では何を勘違いしたのか自分の威力の誇示であったり、
商売繁盛のためであったり、楽しいお祭りになってしまい、
目的をなくしている人がいて悲しい気持ちになったものです
それでも、おバカな水をかぶることなく冷静に寄付だけをしてくれた著名人たちもいるようでそのあたりは
理知的でありがたいと感じた記憶があります
詳細を書くと長くなるのでどれだけひどいかというと
私の他に妹と母が24時間でついていたのですが(病院にいるにもかかわらず)
在宅のときもありましたが、、
妹は10kg減って、免許が切れたことも気がつかず、当時の記憶があまりないとのこと。
母は高齢で舌がんの手術を2回、そして癌サバイバーとしての生活なのに看護側にまわり、
骨と皮だけのミイラみたいになってしまいました。
まさしく看護側が先に死ぬといわれる病です。
私は夜の部でつきっきりだったのですがほとんど風呂にもはいらず、
息がとまりそうな父を見守り、マッサージなどをするのですが横の椅子に座ることも許されませんで
朝の交代になるまでずっと立っていました。
いつ寝ていたのか睡眠の記憶がほとんどありません。
今回は母なのですが、軽い脳梗塞でデイサービスから救急に行きました
前の日には買い物したり、お話したり、できたイチジクを持って行ったら美味しい美味しいと
食べていました。
ですが、今回は軽い、のである意味今はほっとしています
今後についてはもちろん心配は増大するのですが、、
イチジク食べておいてよかったね!
といったらうれしそうに笑っていました^^
あ、今日忘れたわ、次回でいいね
なんて思っているとこうなることもあるのです
”今”できることは後にしないでやるものだと思いました。
とはいえ、実家は親がすごしやすいようにエアコンやら内装やらのリフォームをして
全日に完了したばかりです。
はぁ、、。誰がつかうねん、、です。^^;
経過よく、また戻ってもらいたいところです。
独居の問題は残りますが、、。