アニメ「母をたずねて三千里」を見ていて改めてそれを思った。


例えばアルゼンチンのブエノスアイレスからバイアブランカまでの旅。

距離で言うと、東京から大阪とか広島という感じである。


しかし、この距離が、当時はやたら遠い。

馬車で一ヶ月近くも、山も谷もない草原だけのパンパを

延々と旅し続ける。


この単調で長い時間が、共に旅する者たちの人間関係を

濃密なものにしていく。


多くの喜び、悲しみ、苦しみを共有し、ときには生命の危機さえ

共有するのだ。


出会う人も稀で、トラブルが発生するとすぐに生死に関わる。

鉄道は通っているが、簡単に利用できるほど安価ではない。


今と違って電話などの連絡手段もないので、

情報の行き来も極端に遅い。


そういう時代、社会だからこそ

出会いと別れの意味は、今と比べて途方もなく重い。


一緒にいた仲間が旅立つということになれば

それはすなわち「もう二度と会うことはないかもしれない」ことを意味する。


相手が地球上にいればどこでもすぐに話ができる現在とは大違いである。

それだけに、分かれた知己に再会できたときの喜びもまた大きい。


「三千里」というアニメのすごいところは、そういう社会の基本的な枠組みを

きちんと踏まえたうえで、登場人物たちの心理に切り込んでいるところなのだ。


昨日はバイアブランカを旅立つマルコがフィオリーナと分かれる話で

別れの場面の心理描写は圧巻だった。


ペッピーノ一座と別れ、物語の一つの幕が下りた。

そして、舞台を再びブエノスアイレスに移し、また次の幕が上がる。


【テレビ】

7:00-8:00 NHK総合 ニュース