前回の記事から間が開いてしまいました。
理由は、密かに勉強していたからです(笑)
実は、死刑制度の問題について書き始めてから
このテーマについて自分があまりにも無知であることに気づかされました。
それで、今は死刑制度に関する文献を取り寄せて
読む作業を進めつつあります。
今後は、あらためて勉強したことなども考えながら
このテーマに関する記事を書いていきたいと思います。
さて、前回の続き。凶悪犯の人権についてです。
「凶悪犯に人権は『あるのかどうか』」という考え方ではなく
「凶悪犯に人権を『与えるのかどうか』」の枠組みで考えるという話でした。
では、この「与えるかどうか」ですが、これは
人権というものの性格をどう考えるかによると思います。
つまり人権を「誰も侵すことの出来ない絶対の権利」ととらえるか
「他の権利などとの兼ね合いで制限されうるもの」と考えるか、ということです。
わかりやすく、前者を「人権絶対説」、後者を「人権相対説」とでも
仮に呼びましょうか。
この二つの考え方ですが、現実の社会での運用は後者です。
理想は前者なのかもしれませんが、それは無理です。
その理由は第一に、論理的に不可能だから。
わかりやすい例で言えば「人権と人権が衝突する場合」がそれです。
紛争の当事者の一方の人権を絶対視すると、もう一方の人権が侵害される
というケースが世の中の争いごとの中には多く発生します。
第二に、現実的でないから。
上に述べた第一の理由を除いても、世の中には
人権と比べられる程度に重要な社会的価値が存在します。
例えば「公共の福祉」。
多くの人にとって有用な空港は、しばしば近隣の住民や
元の土地所有者の人権を制限することでスムーズな運用が可能になっています。
人権を絶対視していては、社会・経済が著しい停滞を起こしてしまいます。
また、以前にも書きましたが犯罪に対する刑罰というものも
これは、そもそも自由権、財産権などの人権を制限するのがその本質です。
人権を絶対視しては、犯罪者を処罰することも出来なくなるわけです。
現代社会においては、人権はあくまでも「相対的な価値」だということです。
今回はこの辺で。以降は次回に続けたいと思います。