草原に木が一本生えています。そこはもちろん草原です。

少し進むと、そこここにちらほらといくつかの木が現れます。

さらに進むと、木々の数は多くなり、その間隔は狭まります。

やがて、木々の植生は密になり陽はさえぎられ

我々は自分がいつのまにか森にいることに気づきます。

草原から森へ。

木の植生密度という量的な変化がどこかで「草原から森へ」という

質的な変化をもたらしています。

量的な変化が質的な変化をもたらす。

この考え方が私は好きです。

こんな話をわざわざしたのは、今日それに似た経験をしたからです。

ピアノの個人レッスンを受けているヤマハの教室で

時間前の指慣らしに、習っている曲をおさらいしていたときでした。

自分の出しているピアノの音が何となく違って感じられたのです。

いや、正確に言うと「音が違って聴こえた」のではなく

「自分の音の聴き方が今までと違う」と感じたのです。

ピアノを習い始めてからずっとピアノから出る音を聴いていました。

それが当たり前だと思っていました。

しかし、今日聴いたのは「ピアノから出た音」ではなく

「ピアノから出て練習室の中を反響する音」のように思えたのです。

その瞬間、私は何となく気づいたのです。

「ピアノで音を出すということは

単に自分の耳に聴こえるように音を出すのではなく

空間に音を響かせるつもりで鳴らすものなのだ」ということに。

「自分のためにピアノを弾くことと

誰かに聴かせるためにピアノを弾くことは

本質的に違うのかもしれない」ということに。

この感覚は非常に重要なのかもしれない。

しかし、それを「言葉」で伝えるのは難しいです。

毎日毎日ピアノを弾き、その音を聞いてきた繰り返しの量が

音に対する感覚という質的な変化をもたらしたのかもしれません。

ただ、この感覚は不安定でまだ定着していないようでもあります。

とりあえず、一週間後。

次のレッスンまでこの感覚を忘れずにいられるよう練習です。