私が死刑制度について考えるようになったのは

子供が生まれてからでした。


それまでは、漠然と「死刑制度は、なくしたほうがいいなあ」

と思っていたのですが。


前にも別の記事で書きましたが

親とは、子供を失うことを想像できる立場です。


「自分の子供が凶悪犯に惨殺されたら」。


そう考えたとき、現実の被害者の遺族から

「犯人を極刑に。」という声が出てくるのは

きわめて自然なことだと思います。


私の場合は実は少し事情が違って

私が自分以外で一番大事に思っているのは妻なので

妻が惨殺されるようなことがあれば

「犯人を死刑に。」ではなく、

「自分で犯人を殺してやりたい」と考えると思います。


いや、冗談ではなく。

私は腕力のあるほうではありませんが、

今の時代、殺す方法も道具もいくらでもありますから。


いや、私の話はともかく、問題はそのような遺族の思いを

犯人に刑罰を課す際にどの程度考えるべきなのか

という点です。


死刑は、社会正義の実現のため、重大なルール違反を犯した者を

国家が国民の付託を元に断罪する行為なのか


死刑は、敵討ちを許されない遺族の代わりに国家が行う報復行為なのか


死刑は、凶悪犯罪者から社会を守るための、危険分子抹消行為なのか


死刑の目的や性格については、いろいろなことが考えられます。

問題提起をしておいて中途半端なのですが

この遺族の感情については、他の問題を考えながら

もう少し考えてみたいと思います。


ただ、被害者の遺族の問題について言っておきたいのは

「死刑制度をどうするか」という問題と別に

犯罪で家族を失った遺族に対してのケアが

現状ではほぼ放置されているということです。


これは国家にとって非常に重要な懸案です。

(現在の政府はその認識さえ希薄なようですが。)


金銭的な面も含めて、犯罪被害者遺族への補償制度が

早急に確立するよう、願わずにはいられません。