こんにちは。
モラハラカウンセラーの幸村です。

 
昨日は私の自己紹介を書きました✨
 
今日はカウンセラーになった経緯
についてお話しさせてください😊

現職を通して

 
私はもともとIT系の企業に
長く勤めていましたが、
ここ数年は先端技術を追うような
仕事をしていました。
 
仕事だからやっているけど、
正直、大して興味もなく、
テック系は進化が速すぎるので、
年齢的にも、
ついていくのがキツイなぁ💦
と思っていました。
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じゃあ年齢と人生経験が
アドバンテージになる仕事って何?
って考えた時、
それまで常に心の片隅にあった
カウンセラーに行きつきました。
 

私の人生を変えたカウンセラー

 
幸村元夫は、私だけでなく
長男に対しても
モラハラをしていました。
 
長男が小4の冬、
モラハラうつ状態
アル中が加わり、
長男への当たりが
常軌を逸してきました。
 
ある雪の日、インフルで咳込む
長男に対し、
 
ゴミ捨てに行ってこい!
解熱剤飲んで学校行け!
 
と追い立てました。
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私が長男をやんわり庇うと、
 
長男が甘えすぎてダメになるから
アメリカに送る!
 
と言いだしました。😱
 
軍隊のようなところに入れる
と言うのです。
 
は・・・???
ですよね…
 
もちろん長男は英語も話せず、
行った先に知り合いなど皆無です。
 
正気の沙汰ではありません。
 
最初は聞き流しましたが、
それから、家でも仕事中でも
1日何度も電話やメールで
 
いかに長男をアメリカに
送らなければならないか
 
について、私に言い続けました。
その尋常ではない執拗さに
 
これではいつか、長男が死んでしまう
 
と本気で思いました。
 
長男を庇えば、かえって当たりがきつくなる。
かといって、守らなければ
命の危険すらある。
 
落ち着いて考えようにも
仕事をしながら
ワンオペで家事育児をこなし、
一日中、メールと電話で
追い立てられるため、
 
考える余裕もなく、
精神が崩壊寸前でした。
 
そんな時、長男の学校の
スクールカウンセラーのA先生に
相談することにしました。
 
A先生はそれまでも何度か
長男の件で相談していて、
いつも明確な解を
与えてくれる方でした。
 

A先生に事の経緯を説明し、

 

「私は家族のために

何が出来るでしょうか?」


と泣きながら聞くと、

A先生が言いました。

 

「逃げてください」と。

 

驚きました。

その時私は初めて、

自分と息子がDV被害者

であること

夫が非常に危険な状態にあること

を知りました。

衝撃でした。

 

「逃げてよかったんだ…」

 

と何度も何度もつぶやいていたのを

覚えています。

 

その時、一人のカウンセラーが

人の人生を変えるようなこと

を明確に指示したことに

驚きを覚えつつ、

カウンセラーという仕事に

感銘を受けました。

 

後になって、この事は

私の解釈がちょっと違っていたことが

分かったのですが😅

 

私の人生を救ったカウンセラー

 

その後、2週間後の春休みを待って

私はモラ逃げしました。

 

8年前の3月25日でした。

 

元夫が危険な状態だったので

子どもたちは、福島の実家に預け、

私は一人で東京に戻り、

ホテルから出社する生活

を送りました。

 

その後、元夫は子どもの誘拐

ほのめかしつつ、

私にも執拗なモラハラを継続したため、

私の精神は崩壊寸前でした。

 

そして、二人で会えば丸め込める

と思ったのでしょう。

態度を軟化させ、

何とか二人で会おうとしました。

 

当時私は、反旗をひるがえしたとはいえ、

強烈な上下関係からは抜けられず、

どうしても抗えなかったので、

元夫との面会に立ち会ってくれる人を

必死に探しました。

 

そして人生2人目のカウンセラーさんと

出会いました。

F先生といいました。

 

F先生は離婚専門の行政書士で、

別居後の生活費や面会の条件を

公正証書にまとめてくれる方でした。

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F先生は、間に入って

話を取りまとめつつ、

条件がまとまるまでの期間、

無制限でカウンセリング

をしてくれました。

 

毎日毎日、遠隔から

執拗なモラハラ攻撃を受け、

家を見張られ

ストーカーされ、

そんな状態で別居できたのは、

F先生の支えがあったからでした。

 

崩れそうになる度に

話を聞いてくれる誰かがいることは

当時の私にとって、とてつもなく

大きな支えでした。

 

別居から1年後、

正式に離婚することになり、

離婚協議書のとりまとめを

またF先生に依頼しました。

 

この時も毎日毎日、遠隔からの

嫌がらせが続きました。

しかし、全てのやり取りに

F先生が入ってくれたことで、

 

陰湿なモラハラにも

先生とのカウンセリングを支えに

耐え抜きました。

 

私たちは、

 

事務所設立以来

間違いなく、

ダントツでこじれたカップル

 

だったらしく、

最終的にはF先生から弁護士を勧められ、

そこで授かった策が功を奏して

やっと離婚に至りました。

 

モラハラがなかった日は

一日もなかった

と思います。

 

離婚協議中、後半は

生活費を断たれ

時短勤務の私が

貯金を切り崩しながら

子どもを育てる

不安な日々が続きました。

 

話が進んだ、と見せかけては

別の事で重箱の隅をつつく。

そんなことを気まぐれに続けて

期待させては落とす

を繰り返し、

私の精神を

揺さぶり続けました。

 

元夫はそういう人でした。

 

離婚すれば、支給される

ひとり親手当てがあるのに、

一歩手前のギリギリのところで

のらりくらりと引き延ばす

そんなやり口でした。

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彼側に労力はかからず、

その気になれば、

一生私をなぶり続けることが

できたでしょう。
 

そんなゾッとする恐怖

付きまとう半年間でした。

 

期間としては長くはありませんが、

この状況下で毎日モラハラを受ける日々は

私を極限状態に追い込むには

十分でした。

 

一人ではとても乗り切れなかった

と思います。


正直、さじを投げられても

おかしくない案件だったと思います。

 

でもF先生は最後まで

私を見捨てませんでした。

 

女性を守りきるF先生の熱意は

私の中に残り、

いつか先生のように

女性を支援する仕事がしたい

と思うようになりました。

 

私が伴走型の支援

という形を取るのは

こういった経験からです。

 

開業とその後

 

数年経って、

子どもたちも成長したタイミングで

気持が再び、

カウンセラーに向きました。

 

あの頃のA先生のように

被害者に気づきをあたえ、

F先生のように寄り添い、

被害者が幸せをつかむまで支える

仕事がしたい

と思うようになりました。

 

そして、

産業カウンセラーの資格を取り、

ある年の3月25日に

カウンセリングルームの

開業届を出しました。

私の独立記念日

もう一つの記念日が加わりました✨

 

あの日、一歩踏み出した勇気を忘れず、

被害者を助ける

決意をこめた開業日です。

 

その後、何度かカウンセリングをするうちに、

分からないことがたくさん出てきて

悩むようになり、

私は再びA先生と再会しました。

私の人生を変えてくれた

すご腕臨床心理士のA先生です。
 
その後、先生に師事しながら

カウンセリングが

我流にならないよう、

学術的に証明された心理学

をベースに

研鑽しています。

 

後になって分かったことですが、

あの日A先生はなぜ私に

逃げることを勧めたのか。

 

それは、私の話の端々に、

「逃げたい!」「逃げたい!」

という叫びが

たくさん聞こえたのだそうです。

先生は、それを私に

指示したのではなく、

 

私の気持ちを

映し返して

気付かせてくれた

のでした。

 

離婚やモラハラの

カウンセリングでは特に、

判断に行き詰る場面も多いため、

カウンセラーに

判断をゆだねたくなる

こともあると思います。

 

もちろん、手助けはできますが、

クライアントがカウンセラーに

依存してしまっては

本当の解決にはなりません。

 

だから、その方の話を聴きまくり、

何を大切にする方なのか

を教えてもらい、

その方にとっての幸せ

自分で気づいてもらうことで

その後の人生に迷いなく

進んでいただく、

そんなカウンセリングを目指しています。

 

カウンセリングは

1回でスッキリすることもありますが、

モラハラによる傷は、

年単位で引きずることも

珍しくありません。

 

何年でも、あなたが辛くなったら

いつでもそばにいます。

そんな存在になれたらうれしいです。

 

長文読んでいただき、ありがとうございました。

 

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こちらから💕

 

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