私のブログに訪問してくださり、ありがとうございます
私が死を初めて身近に感じたのは阪神淡路大震災の時
家の下敷きになってた母を何とか救助して地域の小さな診療所に連れて行き、ひと段着いた時に待合室では亡くなった方が長椅子に沢山寝かせられてたのに気付いた
その時に心の中ではプチパニックを起こしてるのか、色んな事が麻痺しちゃったのか「何で私は生きてるんだろう」と生きてる自分の方がおかしく感じた時
2回目は乳がんステージ4で手術不可能と言われた時
乳がんと初めて分かった小さな病院ではふわふわした感じでまだ自体を飲み込めてなかった
「手術すれば大丈夫だろう」とどこか頭の片隅で思ってたんだろう
それが今のステージ4で「手術や放射線は不可能で延命になります」と言われた時「ああ私は使える薬が無くなると死ぬんだ」と(最近、緩和ケアの為の放射線治療はやれたけど)
「確実に私も人間だったんだな そして高齢者になれずに死ぬかもしれないんだ」と深く思った
何だかそれまでは勝手に自分が特別な人間の様な気がしてたおめでたい人
そんな変な自分が一気に現実へと戻されてしまった様な気がして他は何も考えられず、病院で泣き、家に帰っても家族に土下座しながら「がんになってしまってごめんなさい」と大泣きしながら何度も謝った
鬱が酷い時は自殺未遂を2回したけど、その時は「ただ今すぐに一瞬も現実から逃げたい」だけ
死にたいと思っての行動では無かったんだよね
だからなのかこの時は死を身近で感じるなんて事は無かった
今年に入ってから3回目の死を感じた
次々と薬が早くに効かなくなっていき、前の薬も早々に効かなくなり新しい薬も副作用が強く出てるし効いてる感じが無い
その中でまた薬変更もした
けれど胸は腫瘍が表面に現れてジュクジュクし、出血、滲出液が止まらず特に胸のパッドを変える時にはとても酷く流れ出て激痛で毎日が辛い
頼みの痛み止めの医療用麻薬も変えても効かず、ドンドンと腫瘍が広がる感覚
怖くて痛くて死の恐怖を感じた
今は新しい医療用麻薬が効いてくれてるから激痛ではないし、きっと放射線治療の成果も出てくると思えるだけで嬉しい
それが気休めだとしても、そう思える自分にも嬉しい
そしてそのおかげなのか、いつの間にか今、死はまた感じるのが一旦?遠ざかっている感覚です
これからも何度も死の恐怖を感じるんだろうな
でもそれを救ってくれるのはきっと家族と、そしてこの場所
いつも救われてます
皆さん、本当にありがとうございます
コメント欄を久々に開けました
私に何かお話がある方で返信に遅くなってもいいよって人、どうぞよろしくお願いします🙇♀️
ちょっと今日のブログは重めだから無理せずで
それでは
皆さんの心穏やかな時間が1分でも1秒でも多く過ごせます様に