#私の親孝行 | りとみのブログ

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ただの主婦の愚痴をつらつらと

私の親孝行


子供の頃は全く言うことをきかず

大人になってからは心配をかけ続け

親孝行とは無縁だったわたし、、


父親への唯一の親孝行は

結婚

だったと思う


自分でも結婚なんてできるとは思っていなかった


夫が「結婚しようか」

とプロポーズをしてくれて

遠距離だったから、そこから早急にことが運んで


入籍して

式はどうしようか?と探して

夫の実家近くでチャペルの素敵な式場をみつけて

たまたま空いていた日に予約を入れて


───────────


話は戻るけれど

父はわたしが結婚する何年も前から

病気で入退院を繰り返していた

手術も何度もしていた

肝臓がんだったんだけど、

治療中に脳梗塞にもなって

ちょっとおかしくなってしまった時期もあった


その頃はわたしも持病で仕事が出来なくなっていて

家で父親の病気と向き合うのが辛すぎて

毎日泣いてばかりいたな


だから結婚するって決まった時に

わたしも幸せになっていいんだよね?って

また不安になったりもしていた


引っ越してきて

両親とも離れて暮らすようになって

寂しくて寂しくて

泣きながら母に電話したりもしていた

そしてまた心配もたくさんかけた


式の日

両親はとても喜んでくれていた

父はもうヨロヨロしか歩けなくて

バージンロードは

わたしが背中を支えながら歩いた


それが最初で最後の父への親孝行だった


結婚式が終わって

遠路はるばる父方の親戚も来てくれて

その接待も終わって

ちょうど1週間後、

当時はガラケーだったんだけど、電話が鳴った


「お父さん危篤だから帰ってきて」

朝いびきをかいて寝ていたはずの父が

起きてこない

どんなに起こしても起きない

意識がない

救急車を呼んで緊急入院


意識不明のままそこから1週間

手を動かしたりしてくれてたから

また意識が戻ると思ってたよ

そのまま息を引き取りました


そういえば危篤になる前日の夜中

母へ電話しようと思ったら父が出て

ちょっとだけ話ができたんだっけ


最初で最後の親孝行が

父親に花嫁姿を見せてあげられたことで

一緒にバージンロードを歩けたことで

でも、良くも悪くも

タイミング


お父さん、喜んでくれたかな?

あの頃は荒れてたけど、

なんとか幸せに暮らしているよ


もう12年経ちました

まだ会える気がしています


母親への親孝行は

もちろん結婚もなんだけど、

一人で暮らす母のもとへ

2ヶ月に1度は必ず会いに行っていることですかね

 

 

 

 

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