AM8:30。
飼い猫のおかめが静かに息を引き取りました。
Twitterでの頑張れリプや、おかめの天国の幸せを願ってくださって本当にありがとうございます。
個人的にラインやメールをくださった方々も本当に本当にありがとうございます。
おかめは、2年前にわたしの元へきました。
元々は保健所で処分を待っている猫でした。
わたしの姉が獣医で岡崎の保健所で働いていることもあり、姉がとても、おかめのことが気になったらしく、わたしに電話をしてきて『おばあちゃん猫飼ってみない?』と言われ、すごく悩んだ結果、わたしも気になってしまい飼うことにしました。
推定15~17歳。
後ろ足が不自由だけど、食欲もあり元気いっぱいのアメショ風の猫ちゃん。
身体が小さいのに、顔が大きいから、【おかめ】と名付けました。
最初から人なつこくて、初めて家に来た日に膝の上にすぐ乗ってきたのを今でも覚えています。
それからは毎日家に帰るのが楽しみで、飲み会断って帰ったりしていました(笑)
ひょうきんな性格で、さすがおばあちゃんという、どっしりと悟ったような表情で、いつもわたしを癒してくれました。
足が不自由でジャンプもできないのに、一緒に寝たくてベッドに前足の力で登ってきたこともあって、あの時はほんっとにおどろいた!
もちろん、大変なこともありました。
足が不自由でおばあちゃんだから、トイレはうまくできないし、水の容器はひっくり返すし…。
でもそれ以上に、おかめといることは幸せでした。
ずっとずっと元気だったおかめ。
腎不全が発覚したのは、白キの舞台が終わってから。
足を引きずるから、床擦れで傷ができていたので、病院へ。
ついでに今年に入ってなかなか検査できなかったので、改めて血液検査も。
そこでわかったのが腎不全と甲状腺機能亢進症。
腎不全は食欲などなくなるのだけど、食欲があったのは、甲状腺の病気のため。
甲状腺から分泌される代謝や食欲をあげるものが通常よりも出過ぎていることで、食欲がある気になって食べていたんです。
どちらも病気だけど少し運がよかったというべきで、腎不全を中心に治療を開始。
皮下点滴を打ち脱水を防ぎながら、体重の維持。
体重はこの時にはすでに1.2kg。
年末には2kgはあったのに。
とにかく食欲は維持で、点滴を続け、薬も飲みました。
水もしっかり飲むし、ごはんも食べる、自宅での点滴もできるようになり、少し安心していたのですが、3日前あたりから急に食欲がなくなり、グッタリするようになったので、また病院に行き、食欲が増すお薬を飲んでも回復せず、そうしてるうちに9日夜に痙攣をおこしました。
慌てて病院に行き、先生に言われたのが
『入院をして徹底的にこの痙攣の検査をするのか、薬で今痙攣を抑えて落ち着いて一緒に家に帰るか。今夜がやまだと思います。ただ、この小さい身体を開いたところですべてが治るわけではないし、夏日さんと離れたところで亡くなってしまうかもしれない。私たちも絶対に治る!元気になる!と保証できるなら、なにがなんでも入院してもらうけど、申し訳ないけど、そうも言えない。どちらにしますか?』
わたしがした決断は一緒に帰ること。
先生が注射を打ってくれて、呼吸も落ち着き、痙攣も止まり、一緒に帰りました。
静かな呼吸を立てて眠るおかめを撫でて抱いて。
もう体重は1kgほどしかありません。
小さく小さく、それでも生きようとしているおかめを抱いて、たまにスポイドで水をあげて。
わたしのベッドに寝かせて、隣でずっと一緒に寝ました。
もう昏睡状態で意識はほとんどないけど、頭に腕を持っていくと、2.3度だけ頭をこするような仕草もしてくれました。
おかめが大好きだったこと。
10日はキャンセルできる予定だったので、キャンセルし、ずっと一緒に寝てました。
おだやかに時間が過ぎ、おかめは変わらずずっとおだやかに息をしていました。
このまま生きていくんじゃないかな?
そう思っちゃうぐらいでした。
そして今日の朝、おかめは寝たまま息を引き取りました。
静かな静かなお別れでした。
呼吸をしなくなったおかめに何回もキスしました。
ありがとう、と何回も言いました。
一緒にいれたのはたったの2年だけど、わたしにたくさんのことをくれました。
わたしはおかめにとっていいお母さんだったかな。
できることはしたつもりでもやっぱり、もっとできたんじゃないかなって考えてしまいます。
でも、お母さんにもお姉ちゃんにも言われたけど、
『本当は2年前、保健所で死ぬはずだったおかめが、最期の時を凜子と一緒にいれて、人間のそばであったかい場所で死ねて、それほどの幸せはないから、大丈夫』
って。
人間のエゴだけど、今はそう思って、自分を奮い立たせることにします。
まだまだ思い出すと、泣いちゃうけど、きっとまた会えるから。
本当に本当に世界で1番性格が良い猫だと思う。