山口市『水の歴史ラリー』で『名田島新開作南蛮樋』へ☆ | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先月、ELLEさんと山口市で開催された『山口市南部の水の歴史ラリー』に参加したRieruですニコニコ



この日の最後の地になる、『名田島新開作南蛮樋(なたじましんかいさくなんばんひ)』へ。



鋳銭司郷土館の方によると、かなり大きい樋らしいです。
ワクワク。

地図を見るに、平地はほぼ開作地⋯つまり埋め立てられた土地になります。



そういう目で見ると、不思議な感じがしますね。


てか、もう17時過ぎですよ⋯



1人では怖くて来れん!


リーフレットによると、この樋は国指定史跡なのだそうで!



毛利の殿様の開作


国指定史跡 周防灘干拓遺跡

名田島新開作南蛮樋


安永3(1774)年に完成した開作に関連する史跡です。

堤防には4つの樋門が造られています。

三挺樋(さんちょうひ)・四挺樋(よんちょうひ)と呼ばれる樋門には、海からの塩水を干拓地に入れないようにするため、昔は仕切り板が付けられており、仕切り板の上げ下げの方法にロクロを使っていたことから、『南蛮樋』と呼ばれています。



なるほど。

ついでに、説明板もあり、それにはこのように書かれていました。(割愛箇所有り)



   名田島には、長妻開作・慶三(けいさん)開作・元禄開作・新開作(安永開作)など広々とした干拓(開作)があります。新開作は萩藩により安永3(1774)年に完成されたもので、面積は約百町歩(100ヘクタール)です。

   主要な樋門は花崗岩の石材を積み上げた石垣で造られ、ロクロによる巻き上げ方式の仕切り板を設置した南蛮樋で、満潮と干潮の時、板を上下に動かして塩留と排水を行いました。

遊水地の周囲には招き戸を利用した唐樋もありました。

  その後、昭和5(1930)年に昭和開作が完成したことにより、実質上の機能はなくなりました。



  山陽小野田市にある『高泊開作浜五挺唐樋と合わせて『周防灘干拓遺跡』として国の史跡指定を受けています。



なるほど〜、このように国指定史跡の上に立てるわけだ〜。



落ちんさんなよ。

⋯受験生さん、行ったらいけんよ。


アイタタタ


(そういう冗談は笑えない凝視)