こちらの御祭神は『伊邪那岐命(いざなぎのみこと)』で、配祀は『新宮速玉男命』と『那智事解男命』になります。
由来は以下の通り。
熊野神社は、高根地区の鎮守社で、一般には『権現様』の名で親しまれている。
この地は、鎌倉時代までは嘉川八幡宮が祀られていたところであるが、明治8年6月、以前からこの地区にあった祇園社と山口市の山口大明神境内にあった熊野神社、日吉神社をこの地へ遷し、合祀したものである。
もともと、この熊野神社は、大内時代の宝徳2(1450)年、紀州熊野神社を勧請し、はじめ宇野郷東山(山口市古熊)に祀られていた。大内氏22代政弘は初め子供がな
なかったので、この熊野神社に祈願し、亀童丸(きどうまる)をもうけた。
これが後の大内義興(23代)である。これ以後、子授け・安産の神として厚く崇敬されるようになった。義興は永正17(1520)年 熊野神社を、古熊の地から高嶺(こうのみね・・・鴻の峰)の麓へ遷した。高嶺は神の峰であり、古くから神聖な山と考えられていたからであろう。
古熊⇒高嶺⇒現在の地(江崎)に遷ったのですね。
結構距離があるのに・・・不思議です。
拝殿は山を背にした場所にあり、少し階段を上がった場所にありました。
境内は綺麗に地域の方に清掃され、気持ちが良かったです。
その地域の方が狛犬ウォーク参加者に『嘉川悠々 ふるさと探訪マップ』というリーフレットを配ってくださいました。
そのマップの中に熊野神社のこともありましたよ。
● 小屋の中では地元の青年団(元気の良い男性が中心)の方たちが芝居を見せてくれた。それが上手で子供たちは笑い転げていた。
● 昭和20(1945)年戦争が終わって娯楽も何もない時代、神社の広い境内を利用し、石垣にスクリーンの代わりに白い大きな幕を張って映画が映されることもあった。
賑やかな営みが目に浮かびます。
そんな様子を見守っていたであろう狛犬さんがいらっしゃいました。
明治35(1902)年3月に奉納されています。
獅子さん:「よう来たね!」
お邪魔しています。
F氏によると、かなり立派なものをお持ちのようで。
獅子さん:「・・・えっと、そんな場所から撮るのやめてくれる?」
すみません!
獅子さん:「まぁ、いろんな人が撮っていくから慣れたけど。
それより、尾を見てみんさい。」
・・・身体に対して、小さめですね。
獅子さん:「これが可愛いんだって。」
狛犬さん:「垂れた耳も可愛いんよね。」
珠を抱いているポーズも可愛いですね。
狛犬さん:「ちょっと、アンタよく分かってるじゃない♬.*゚」
ちょっと失礼〜。
狛犬さん:「・・・え?ちょっと撮らないでよ!」