『郷土館』や、『旧呉鎮守府司令長官官舎』は有料エリアだし、またの機会に訪ねることに。
敷地も広いし、時間がある時じゃないと、逆に勿体ないですよね。
しかし、案内図にも記載されていない、気になるお社が見えたもので、そちらには早足で参拝させていただくことに。
10.36 am
『旧高烏砲台火薬庫』の近くにある小路を下ると、そこに『水交神社』がありました。
ありがたいことに説明板があり、このように書かれていました。
旧水交神社由来
この水交神社はこの麓にあった旧水交社の守り神として、昭和18(1943)年 海軍の手によって建立され、天照大神を祀ったものである。
昭和30(1955)年 亀山神社改築後、この社殿は一時転々として一市民の手によって保存されていた。
元々は麓にあったのですね。
はて、水交会(すいこうしゃ)とは?気になって調べてみると、HPがあり、このように紹介されていました。
『水交社』は、明治6(1876)年に設立された日本海軍将校の親睦・研究団体『水交社』に端を発します。
で、東京都港区芝白金三光町から、『東郷神社』境内にある『水交会館』(東郷記念館1階部分)に移転・・・
神池があったので歩いて見たかったのですが、わりとは人出があり(コロナ禍前)、なんとなく避けたエリアだったのですが、地図を確認すると『水交社』の鳥居もあるようで。
行き当たりばったりで行くと、いろいろ見落としてしまいますね。
ちなみに支部は、『北海道』、『大湊』、『下総』、『横須賀』、『湘南』、『舞鶴』、『関西』、『呉』、『福岡』、『佐世保』、『鹿児島』の11ヶ所にあるそうです。
境内には気になる石がありましたが、何も刻まれていません。
表側だけ荒々しい?削られたのかは分かりませんでした。何かの石碑だったのは確かですが。
『萬古清風』と刻まれた碑があり、左側には『呉鎮守府司令長官海軍大将 野村直邦書』とあります。
帰りにお邪魔した郷土館に、第30代の司令長官 野村直邦大将の事が展示されていたパネルを偶然撮影していました。
それによると、大将は鹿児島県出身で、在任期間はS18.10.22〜S19.7.17。
昭和15年 日・独・伊三国同盟軍事委員。昭和18年 独潜水艦Uボートにて敵海域2ヶ月間の航行を経験。・・・とあります。
司令長官後は海軍大臣に・・・あら、水交社の社長だった時期もあったのですね。
昭和48(1973)年12月に、88歳で亡くなられています。
この日は良い天気でしたが、木々が生い茂っていて、良い具合でした。
木製の鳥居があります。
上の部分は、銅板で覆われていました。
おっと、一瞬、将棋の駒かと思いましたよ。何の碑でしょうか?
説明板には、このように書かれています。
これは旧海軍第三門の衛兵所(国立病院と清水丘高校との境にあたる)跡にあったもので、当時の衛兵によって昭和19年6月8日に建てられたものをここに移したものである。