『和多津海神社』は、『保土谷化学工業株式会社』さんの南陽工業の敷地内にありました。
さぁ、この駅から電車に乗って・・・ではなく、最後にもう1ヶ所拝見出来る狛犬さんがいらっしゃるとのこと。
その狛犬さんがいらっしゃる場所は、『辰尾神社』で・・・
あら、偶然!
『和多津海神社』の玉垣に名を連ねていた、あの『シマヤ』さんの本店だそうで!(本社は周南市都町)
参加者さんたちも、興味津々でした。
今では『だしの素』が有名ですが、初めの頃は味噌と醤油が主流だったようです。
一の鳥居に着きました。
この日は、ちょうどお引越しがあったようで。
進んだ先の右側には、特徴的な石灯籠が。
暗くなると、明かり(電気)が灯る?
二の鳥居に到着。
2基とも、大きめの鳥居でした。十分、車両が通れますね。
拝殿で参拝を済ませると、宮司さんと奥さまが飲み物を用意してくださっていました。
感謝感激であります!
保土谷化学工業さんからいただいたお土産をTさんが食べていたので、私も真似ていただきました。ん〜♬.*゚合いますのぉ!
口直しに、お水まで用意してくださっていました。本当にありがとうございました。
もう、まったりし過ぎて根が生えそう・・・
狛犬(阿)さん:「あんたぁ、何しにきたんじゃ?」
あっ、狛犬さん!狛犬さんに会いに参ったのでした!
狛犬(吽)さん:「まぁ、最後の地って、疲れがピークになるから・・・のんびりしんちゃい。」
ありがとうございます。狛犬さんは、文化4(1807)4月の徳山生まれでしたね。
こちらの神社の由緒等は・・・ありました。説明板には、このように書かれています。
福川 中市 鎮座辰尾神社
辰尾神社は(現神社は昭和15年にご造営)宝暦10(1760)年5月 辰之尾の地(現神社の西側)に創建された辰之尾神社(通称 天王様)と、明治43(1910)年5月 美祢郡真長田村大字 長田村字随応鎮座の村社 埴安神社の二神社を合併して出来たものです。
天王様のご祭神は
須佐之男命、櫛稲田姫命
埴安神社のご祭神は
埴安神(はにやすのかみ)
その他、福川地区内にあった5つの小社、即ち荒人社、綿津見社、幸魂社(さきみたましゃ)、三島社、恵比須社の5社を明治42(1909)年1月 辰之尾神社に合祀し、次のご祭神をも祀られております。
地主神(とこぬしのかみ)、大綿津見神、幸魂神、大山昨神(おおやまづみのかみ)、事代主神
以上で八柱の神様が祀られています。
天王様のご祭神は災難除、交通安全、或いは縁結びの神として、埴安神は国土の神として氏神様にふさわしく、事代主神は恵比須の神として広く崇敬されています。
なるほど。かなりパワーアップされた感がありますね。
神社のHPには、より詳しく書かれておりました。
改修中の建物もありましたが、あまり近寄らず・・・
福川駅解散ではなく、この辰尾神社で解散とのこと。
・・・アッチョンブリケ!バラバラかいな!迷子になったら、困るがな!なんて思いながら、境内でまだ撮影したい場所がいくつか残っており、ウロウロ。
Tさんにくっついて駅まで行こうか考えつつ、「お世話になりました、じゃあ!」と、タイミングを逸し、最終的にはぼっちで福川駅に向かうことに。
まぁ、Googleマップを開けば迷子にはなりませんが、なんかわざわざ・・・恥ずかしいじゃないですか。
前方を歩かれていた集団について行くような配置で進みます。
近付き過ぎず、離れ過ぎす。
福川駅から辰尾神社へ向かったんだから、辰尾神社から福川駅まで行けるでしょ?と、笑われると思われるでしょうが、キョロキョロしながら“ついて行ってる”時というのは、覚える気がほぼ無いのでこういう目に遭います。
辰尾神社で解散するなら、最初から言っといてほしいわ!意識しながら歩いたのに!と逆ギレしながら(←覚えが悪いのと何でも人任せにしていた自分が悪い)、なんとか福川駅に到着しました。ヤレヤレ。
駅にあった観光案内の看板ですが、『福川本陣』、『忠魂碑』、『若山城址』に『羽島古墳』と、いろいろ見どころがあるようですね。
『福が輪プロジェクト』という名前も、ユニークです。
集合場所である新南陽駅も初めでしたが、福川駅も初めてです。
この床のデザインには、どんな意味が?
まだまだ福川は奥が深いようです。福川本陣があったのなら、『古地図を片手にまちを歩こう』のコースがあっても良さそうですね。
ほとんどの参加者の方が電車を利用されるようです。