広島の神社仏閣★天満神社 手水鉢の狛犬 拝殿編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先週、広島県呉市にある『御手洗地区』へお邪魔したRieruです★

潮待ち館で美味しい鍋焼きうどんをいただいたあと、


『calme』さんにいただいた御手洗のリーフレットの中にあった、御手洗観光マップを片手に『天満神社』へ参りました。


上の画像は手描きなので美しくはないのですが・・・

が『潮待ち館』で、白い鳥居のマークの場所が天満神社です。


近い場所にありました。



神社ですが、『天満』という名前だから、お察しの通り、御祭神は菅原道真公のようです。

呉市のHPには、由来がこのように紹介されておりました。


   幕末期、広島藩は薩摩藩と秘密貿易を行い、文久3(1863)年に御手洗がその貿易港に指定されました。そのときの広島藩側の担当役人・船越寿左衛門が、明治4(1871)年に社殿を寄進し、満舟寺三社堂に安置されていた天神像を移したのが始まりで、その後大正6(1917)年に現在の天満宮に再建されました。

   そもそも天神像を祀るようになったのは、社殿の裏手にある『本川の井戸』に由来します。江戸時代に記された伝承によれば、神功皇后が朝鮮出兵に赴く際に立ち寄り、この井戸で手を洗ったことから、この地を『御手洗』と呼ぶようになったとのことです。

   しかし、その後菅原道真が大宰府へ左遷された時に立ち寄り、この井戸で手を洗ったという伝承が主流となり、『本川の井戸』の側に天満宮が建立されたというわけです。

  境内は『天神桜』の愛称で親しまれた桜の名所となり、花実の季節には、管弦の調べや芸子たちの笑い声で賑やかだったそうです。


HPには、『御手洗天満宮』という名称でした。


桜の名所・・・今頃(3月末日)は、かなり開花が進んでいるのではないでしょうか。



先程のリーフレットには、桜が満開の頃の境内の画像が掲載されていましたよ。



美しいですね。


まずは手水舎へ。



ん?こちらの手水鉢の四隅は、狛犬さんの姿が。



おおお!4匹の狛犬さんが、手水鉢を支えていらっしゃる!


狛犬さんたちの足元には、自然石。

様々のポーズで支えているのに、水平。これには驚きましたよ!

お疲れ様です、小型犬サイズの狛犬さん。


参道を進むと、拝殿が見えてきました。


うわぁ〜・・・瓦たち、すごい!竜頭は珍しいですね。

単に私が見たことないだけ?


謹んで参拝いたしました。



ふと、拝殿の下に目をやると・・・逆立ちしている狛犬さんが!



以前は瓦として高い場所にいらっしゃったのでしょうが、現在では屋根での役目を終え、こんな場所で守護ってます。


手水鉢と同じく、四隅に。まだまだ現役!頑張ってください。


他の瓦は、こんな使い方をされていました。



無駄が無くて良いですね。

・・・はぐると、冬眠中の“何かが”いそうですけど?


アイタタタ


(虫類等の冬眠場所を提供してくださり、ありがとうございますm(_ _)m←なぜアナタがお礼を?)