『おかげの井戸』の近くに、入口がございます。
名前の通り、敷石が青石(緑色凝灰岩)で、情緒溢れる昔ながらの通りになっています。
敷設されたのは文化年間〜弘化年間(1804〜1847年)の江戸時代後期になるようで、それ以前から西廻りの北前船の寄港地として、大いに賑わっていたのだとか。
この青石の上に、たくさんの人がひしめき合っていたのですね・・・
雨上がりで濡れていたりすると、尚、緑色が際立って見えるそうですよ。
早速右手に、気になる瓦とのれんがありました。
福間屋(面屋)
初代が宝歴(1751〜1764年)より廻船業を営む。文化10(1813)年の「当湊惣問屋」によれば、分家筋の福間屋(代蔵、佐左衛門)も廻船問屋として名を連ねており、本家・福間屋を面屋(おもや)と称するようになって現在に至る。
米子屋
定宿がある、というのは良いですね。
2階の窓ガラスがレトロガラスで萌え。
私のように萌えた文人等が、こちらの通りや美保の関の事を歌ったものを、歌碑や句碑にしてありました。
小宮山 泉
一筆書ねば通さぬ 美保関
湯川秀樹
まいった まいった 美保関
山田太一
1階ぶち抜き!
先日見た、山口県柳井市にある建物を思い出しすね。
風通し良すぎ〜。
後に、反対側の道を通った時にまた同じ建物を見ましたが、2階、3階も風通しが良いようでした。
通りからは見えにくかったけど、4階があったんですね。
少し先に、与謝野夫妻の句碑がありました。
地蔵崎 わが乗る船も 大山も
沖の御前も 紺青のうえ
与謝野寛
かげろうとのみ 見ゆる隠岐かな
与謝野晶子
こちらも現役のお宿である『美保館』で、本館は明治38(1905)年に建てられた国の登録有形文化財になっています。
本館の建具や電灯も当時のものらしく、宿泊客はこちらで朝食がいただけるようですよ。
なんて素敵な!まるで、時が止まっているかのよう・・・
バーもあるようで、こちらは一般客でもOKなのかな?
日帰り入浴も出来るようですよ。
気になって後日調べてみますと、明治35(1902)年に山陽鉄道が開通したのを機に、海上交通の要所としての役割に限界を感じて『美保館』を建築し、営業を開始されたそうです。
昭和初期には、美保関の背後(山側)にあった『和泉屋』の跡地に2棟目の美保関を建て、こちらも国の登録有形文化財に・・・
くるり
ほ〜、『和泉屋』の説明はコチラ☆
和泉屋
泉州佐野・堺・貝塚・岸和田・高石等々 又、雲州加賀浦、米子宍道屋船、備後の廻船の定宿で和泉国との商取引の独占権を有したことから和泉屋と云われた。
なるほど、その跡地を。
夜はライトアップされて、一際明るいスポットになるようです。
夜の散策、良いですね〜。非日常を味わえるのでは無いでしょうか。
烏賊の味 忘れで帰る 美保の関
中濱虚子
あ、ランチは海鮮丼が食べたいです!
アイタタタ
(旅情より、海鮮丼かい!)