島根の神社仏閣★築紫社・和田津見社(弁天波止場常夜灯)・おかげの井戸(美保神社)編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。


喪中の為、初詣に行けないRieruです★

買いだめもしているので、外出は柴犬ちゃんの散歩のみ。
しかも休み中なので朝は頭領、夕方は私。つまり1回だけの散歩・・・調子に乗って、1時間以上連れ歩いたよ。


イテテ

(柴犬の平均散歩時間は20〜30分だそうです)

しかも老犬なのに、普段から30〜40分歩いてる・・・
柴犬ちゃんの賢いところは、相手を見て歩く速度を変えているというところ。私の時だけ走るシーンがあるので、多分舐められてるんだろうなぁと苦笑いしている女は、先月島根県にある『美保関灯台』に行きました。

中に入って見学出来るのは、海の日(7月の第3月曜日)のみだそうです。(2022年は18日)

あ〜あ。ここで15〜20分ぐらい滞在する予定でしたが、次の目的地へ。



県道2号線を戻り、『美保神社』に向かいます。



ところで、『美保』という名前は女性の名前だったりしますよね。

男性でも『美保』と付けられている方がいらっしゃいますよね。その場合は『よしやす』と読むらしいのです。

こちらの神社は『みほ』読みで、なんで『美保』?と思っていました。

御祭神に『三穗津姫命(みほつひめのみこと)』がおり、それに関係されているとか。で、『事代主命』(えびすさま)も祀られていています。

ちなみに、三穗津姫命は大国主命の后ですが、大国主命の子である事代主命の母ではありません。その辺は置いといて・・・駐車場は高い常夜燈の近くを選びました。


△ 写っている車ではありません


その高さ、5.8m!めっちゃ、気になりますよね!



右側面には『五穀豊穣』・『国家安穏』とあります。夜はライトアップもされるようですね。

近くの説明板には、このように書かれていました。




弁天波止場の常夜燈


 弁天波止場の常夜燈は、灯台の役割を果たす燈籠として、天保13(1842)年に建てられました。

 その後 明治3(1870)年に再建されましたが、風化により老朽化したため、平成23(2011)年に来待石で再建しました。

 海運で栄えた美保関のシンボルです。


△ 弁天波止場古写真(明治40年)



ほ〜、来待石で。

この常夜燈の横には浮島があり、朱色の太鼓橋が掛かっておりました。


その名も、太鼓橋!


イマイチな天気でしたが、海水が澄んでいることがよく分かります。


わっ、ウニがいっぱい!こんなにいるのに放置ということは、中身がスカスカなのでしょうね。


島には『築紫社』と『和田津見社』が鎮座されていました。



ん?正面は海に向かっていないのですね。



地図を見ると、美保神社の方を向いているように設置されていることが分かります。


浮島にある石灯籠も、来待石のようですね。



湾には、所狭しと建物が建っています。



小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も訪れて、美保湾の美しい風景を「深いきれいな水をたたえた半月形の入江」

と、表現されたほど。



八雲さんの頃は先代の常夜燈が建っていて、沖の方向にある防波堤の無い風景を見ていたのでしょうね。


さて、浮島からいよいよ美保神社の参道へ。



この石、気になりません?説明板によると、美保関周辺で採れる緑色凝灰岩で、通称『青石』と呼ばれる石なのだそうです。



一般的には『グリーンタフ』と呼ばれていますが、青・・・緑色を青色って・・・日本独特の文化のアレですね。

グリーンタフは、日本海沿岸部によく見られますが、瀬戸内海沿岸部には無いものなので、私的には珍しくてしょうがありません!

近くに『青石畳通り』があるそうなので、参拝後に歩く予定にしています。

お楽しみは、一の鳥居の前にも。



う〜・・・たこ焼きに、たい焼き!歩きながら食べると、一段と美味さが増すんですよね。

昨夜の教訓(夕飯前にカフェでスフレパンケーキを食べて早々に満腹になった件)があるので、ランチだから控えることに。

うん、確実に食べられる量が少なくなって、人生の楽しみも少なくなってきたよね。



イテテ


(どの口が・・・?)



一の鳥居と二の鳥居の参道右側に、八角形の井戸を見つけました。内側は円筒形で、石板で周りを囲って八角形に見せているというわけですね。



木札には『廻船御用水』と書かれており、古そうな石が置かれています。



『おかげの□』・・・と刻まれている、文久元年 酉 7月吉日に建てられた石。

もう1枚の木札には、このように書かれていました。




 その昔、長い干ばつが続いたためにどの井戸も干上がってしまい、民衆は暮らしに困窮していました。

そこで、時の宮司が美保大明神に雨乞いをしたところ、お告げがあり、この場所を掘ってみたところ、こんこんと水が湧き出てきて、人々は難を逃れたと言われています。あまりのありがたさに、「おかげの井戸」と名付けられました。

 掘削には当地区の廻船問屋はもちろんのこと、廻船の用水として欠かせなかった諸国の北前船の船頭や船主も浄財を寄進しました。そのときの記録が美保神社に残されています。

  平成19年には、美保関灯台とともに文化庁の登録有形文化財になりました。




へぇ〜、国の!そして『おかげの井戸』という、「おかげ」という名前は良いですね。

現在は、この井戸の手前にあるポンプで水を汲むことが出来るそうです。



左側にある棒を上下に動かし、右側のパイプの先から水が出るわけですが、参拝客が勝手に使って良いものかどうかは分かりません。勇気も無いし、容器も無い・・・


井戸の深さは約3.8mらしいので、先程見た常夜燈より2m短いのですか。



いちいち、いろんなものと比較するの、疲れません?


・・・楽しいです!



アイタタタ


(大きさや高さ等を比べた辞典とか面白いですよね)