島根県『美保関灯台』で悲喜交々(ひきこもごも)。 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。


喪中というわけではありませんが、昨夜は23時までに就寝したRieruです★

皆さま、新年あ・・・喪中なので、新年のご挨拶を控えさせていただきます。

・・・喪中、喪中、うるさい。


イテテ

(だって事実だもの・・・)

さて、早速ですが、先月の山陰旅行2日目に訪ねた、島根半島のことを書いていきたいと思います。
島根半島の日本海側(島根半島・隠岐・三瓶山)は、昭和38(1963)年に『大山隠岐国立公園』に指定されており、島根半島・宍道湖中海ジオパークのエリア内だそうで。



この島根半島の先に『美保関灯台』があるので、お宿があった弓ヶ浜から行ってみることに。



道中、沿岸には釣り人が多く、良い漁場だという事が分かりました。しかし、風が強い!
駐車場は思っていたよりも広く、わりと観光客も多かったです。



駐車場から灯台がある場所まで少し歩きますが、左手に日本海の地平線が広がっていて解放的でした。



風が強いばかりではなく、雲も多い・・・


アラッ、幸運な事に、海中から虹が出ている(ように見える)ではありませんか!



感動的なショーの始まりです。


ふと、下の方を見てみると、岩場に釣り人発見☆

ほ〜・・・よくそんな場所まで行きましたね。風に煽られて海に落ちやしないかと心配になりましたが、自己責任で釣られているので仕方がありません。

大物が釣れると良いですね。


そうこうしているうちに、灯台の近くに着きました。



海側の方から撮影しましたが、一般的な灯台より低いようです。

海上から高さがある場所に建っているからでしょうか。

駐車場と近くにあった説明板には、このように書かれていました。(割愛箇所有り)



地蔵崎


 この地蔵崎は古くは「美保之崎」と呼ばれていましたが、この海域を往来する船舶の事故が絶えなかったので、航海の安全祈願のために多くのお地蔵さまが岸壁や波打ち際に奉納されるようになったことから「お地蔵さまがある岬」ということで、中世以降から「地蔵崎」と呼ばれるようになりました。

 大山隠岐国立公園島根半島の最東端に位置するこの岬からは、晴れた日には日本海はるか沖に隠岐の島々も望むことができます。



島根半島海岸部の地形


 島根県東部・島根県西部地域は南から中国山地、低地帯をなす宍道湖・中海地域、隆起した島根半島のように、東西の方向に広がった特徴的な分布を有しています。そのなかでも島根半島は、全体として断層を伴った複背斜構造をなし、半島東部は沈降海岸(リアス式海岸)、半島西部は隆起海岸となっており、多くの場所で加賀の潜戸・多古の七つ穴のような断崖・洞門・海食洞等の優れた景観を見ることができます。



地蔵崎からの眺望

 地蔵崎は島根半島の突端にあるため、日本海の雄大な眺めと大山、美保湾が共に眺望できる数少ない場所です。
 この展望デッキからは、日本海の雄大な眺めが一望でき、デッキ東側沖合3kmには、美保神社の祭神である事代主命が魚釣りを楽しんだ「沖の御前島」・「地の御前島」を望むことができます。



隠岐・・・この日は、うっすら島影が見えました。

渡る計画を立てたことがありますが、その時は断念。

いつか渡ってみたいものですが、せっかくなら2泊してみたい場所ですね。


他には、こんな説明板もありました。




美保関のかなたへ


 昭和2(1927)年8月24日夜、日本帝国海軍軍艦「長門(ながと)」以下の連合艦隊60余隻は、美保関の北東32km付近の海上で2軍に分かれて戦闘訓練を行った。

 おりから台風の接近で、雨が激しく降り、強風に波も逆巻くなか、両軍灯火を消して時速52kmの全速力で実戦さながらの訓練であった。そのさなか駆逐艦「蕨(わらび)」(850t)の艦腹に巡洋艦「神通(じんつう)」(5595t)が衝突、「蕨」は裂け、沈没。艦長 五十嵐恵少佐以下92名は艦と運命をともにした。


△ 『日本海軍全艦史』より「蕨」の写真


その1分後には駆逐艦「葦(あし)」の艦尾に巡洋艦「那珂(なか)」が衝突し、「葦」の乗組員27名が海に消えた。

 この2つの衝突による犠牲者109名。海軍史上、空前のこの事故に際し、美保関や境港の人々は献身的に捜査協力をしたが、収容された遺体は数体のみ。今も130mの海底には、「蕨」とともに多くの兵士が眠っている。 

 演習中に貴い命を失い「海の八甲田事件」といわれるこの惨事を、日本海軍は黙秘し続け、半世紀を経て、五十嵐艦長の子息 五十嵐邁(すぐる)氏が克明に調査し、父君の非業の死の真相を一書に著すまで、その全容は明らかにされなかった。今日の日本がこうした犠牲のうえにあることを忘れないように、この記念碑を建立する。

平成18(2006)年8月24日

日本海軍美保関沖遭難事件顕彰実行委員会




この沖で、そんな事故があったのですか・・・

衝突状況の図もありました。



衝突場所の辺りは見えず。



灯台からだと、よく見えるのかな?

説明板にあった、美保関灯台の全景です。うん、見えそう。



美保関灯台って、山陰最古の灯台らしいですよ。早速、表に回って・・・


・・・え?


AM 9:38


・・・日曜日って、休みだったっけ?


イテテ


(結局、謎)


Mポンは、もう2度と来たくないそうです・・・(←え?)

でも、海上から出た虹が見れたから良いじゃないですか。プラマイゼロですよ。・・・虹、こっちに向かって来てない?



・・・ぬお〜!雨が降ってきたー!傘は、無〜い!



アイタタタ


(どちらかと言うとマイナスの方が多いと思う←日頃の行いに気を付けよう)