先月末、下松市立図書館発行のリーフレット『下松で古地図さんぽ』(商業と塩田で栄えた下松を歩こう編)を片手に下松を歩いたRieruです★
桜の花が満開の頃に歩いたので、ところどころで淡いピンク色の塊を目にする事が出来ました。
アラ、何あのピンク色の塊?
ワォ!『摂社降松(くだまつ)神社』でした。
狛犬(阿)さん:「よう来たね。アンタ、ここ初めて?」
こんにちは☆はい、初めて訪ねました。美しい桜ですね♬.*゚
台座には・・・波?
古地図を見れば、際まで海!というわけでも無いようでした。
台座には『諸國廻舩中 富所惣濱中』
そして天保8(1837)年に奉献・・・前年の6月に大雨が続き、とんでもない水害があったことが思い出されます。下松では無かったのですが、当島・奥阿武・美祢・厚狭・山代・徳地や篠目村等の河川が氾濫。そして年末頃には飢饉が発生しました。
天保8年になるとさらに深刻な状態になり、大阪では2月19日に『大塩平八郎の乱』が起り、3月には下関・三田尻・大島・徳地・美祢・小郡で一揆が勃発。
そんな折に毛利敬親公に代替わりし、その後 村田清風らにより(長州藩独自の)天保の改革期を迎えたのでしたね。
狛犬(吽)さん:「『天保8年』で、そこまで食いつく〜?」
そりゃあ、転換期ですから。
狛犬(吽)さん:「水害・・・今年も起きんと、平和に時が流れて行って欲しいもんじゃ。
雷も怖いよの。じつはワシの頭の角は『羅針盤』も兼ねとって・・・」
そんなわけないですよね?
狛犬(阿)さん:「ぐひゃ☆世の中、ジョークも必要よ。
顰(しか)めっ面じゃ、福が逃げるけぇ。・・・じゃけぇ、ワシの股間を見て顰めっ面せんとってや。
アイタタタ
(え?そんな顔してました?)