下松で古地図さんぽ『商業と塩田で栄えた下松を歩こう編』(妙法寺・正立寺・毛利就隆の乳母の五輪塔) | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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劇場版『閃光のハサウェイ』の公開日が5月21日に延びて、ガッカリしているRieruです・・・

そもそも昨年の夏の公開だったのに・・・タイミングって難しい、人生ってそんなに甘くない!と奥歯を噛み締めて悔しがっている女は、先月末下松市立図書館発行のリーフレット『下松で古地図さんぽ』(商業と塩田で栄えた下松を歩こう編)を片手に、下松を歩きました。

初めて訪ねる場所が多く、新鮮でありました。


元々、宫ノ洲山にあったとされる『洲屋明神』を移した レ(⑰)(現在は摂社降松神社)場所から、いよいよ最後の地である ツ(⑲)『妙法寺』へ向かいます。


途中、左手に橋桁があり、その低さに驚きました。


けた下制限高1.8mか・・・
なんて思っていたら、貨物列車が通りました。10秒の動画をどうぞ。


真下にいたら、結構怖い!


さて、しばらく歩いて右折した場所に『妙法寺』がありました。


こちらは曹洞宗の寺院で、古地図の方には五輪塔が描かれています。妙法寺の北東にあった『清安寺』にあったものなのだとか。
この五輪塔は下松藩主 毛利就隆の乳母『清安院殿光誉栄眞大姉(せいあんいんでんこうよえいしんだいし)』のもので、かなり大きいものだそうです。

蟇股の毛利家の家紋は萩藩のものでした。ほ〜。


妙法寺を後にし、コースには含まれていませんでしたが惹かれて『正立寺』にも寄らせていただきました。



古地図を見ると、こちらの正立寺も記載されています。
コースとしては妙法寺が最後の場所でしたが、例の五輪塔が今は大谷ダムの入口の墓地にあると知り、そちらへも寄り道をすることにしました。


山の方に向かって歩くので、緩やかな坂が続きます。


途中、国道188号線の高架下をくぐり、脇に流れる山水の流れる音に癒されつつ進みました。


ふぅ、ふぅ、やっと見えてきましたよ!

AM 11:58

この辺りの山と、ハイキングコースを紹介した看板がありました。


大谷ダムや、そのダムの『御影石積』(山口県の近代遺産)のことが興味深かったです。

こちらの墓地には、坂村真民(さかむらしんみん)の石碑がありました。


念ずれば花ひらく

五輪塔、発見☆


おおっ、市内最大の五輪塔!

約3mを超えるそうです。


確かに戒名も乳母のものでした。


二の丸様が出産された子(就隆)ですが、現在の母子のような関係では無かったんですよね。それなりの身分の方には乳母がいるのが当たり前の時代。
産みの母親である二の丸様(当時人妻)は騙されて連れ去られ、旦那さんも殺され、実父が元服した年に生まれた毛利輝元に手篭め(表現!)にされて妊娠・出産した二の丸様。精神的にはボロボロだったろうに・・・きっと二の丸様に対しても優しい乳母さんだったと思いたいものです。
二の丸様のお子さんは3人。・・・全員優しい方に違いない。


アイタタタ


(てか二の丸様の元旦那さんは元々大内氏の家臣・・・ぬぅ・・・)