亀汁を注いでいる図?
タートル図!
イテテ
(てか、1匹だ・・・)
やっと拝殿に着きました。謹んで参拝致しましょう。
説明板の由緒は、このように書かれていました。
仲哀天皇時、三韓出兵の為 御西下の際、穴門国(長門国厚狭郡)で伐採材木により軍船を造られた。この時、御神託によって住吉大神を祀り、海上の平安を祈って幣を残して去られた。当時の人々はこれを敬い、祠を建てて幣を納めて奉斎した。この所が、東須恵岡の原(現 岡田屋)であり、当社の起りである。
その後、厚東氏五代武仁公が祠を再建し、奈良時代の宝亀2(771)年に宇佐八幡宮を勧請し、高松太郎衛門尉武彦(白石家祖先)に祀らせて神領を付置した。厚東氏没落後は、大内左京大夫政弘公が領主となり、当郷所司代 三戸佐渡守有次が、室町時代の寛正6(1465)年、これを薬師山(壁田)に遷座して、社殿を建立した。以来、この社を松江八幡宮と奉称する。
その後 江戸時代の万治2(1659)年、東須恵8ヶ村の氏子が再建立し、永き年月の間修理して神威の発揚に努めた。
明治初年(1868)年、現社号に改称し、明治14(1881)年、社殿の大改築をした。これが現在の本殿及び拝殿である。
なるほど。
文中の壁田村は、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』の中に書かれている『神戸(かむべ)郷』ではないか?という話があります。
『宇部』の地名の由来は神戸説があるようで、かむべ→むべ→うべ!と言った感じ。
例の植物の『ムベ』説もありますが、神戸説はピンポイントすぎかな〜とも思います。謎ですね。
拝殿には毎年書かれているのか、今年の干支の『丑』が掛けられていました。
・・・これは!トータスの甲羅?
トータス松江。
イテテ
(読みが違うし!てか、近くで拝見してないから甲羅じゃないかも〜)
そして、本殿の彫刻も!
細部まで・・・匠の技が光ります。
・・・恐らく、飼い猫が入れ代わり立ち代わり、爪を研ぎに使われると思いますよ?
アイタタタ
(木製は狙われる運命)