山口の神社仏閣★中津瀬神社 三ノ鳥居・放生池・龍神社・恵比寿大黒社編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



先日宇部市を訪ねた際に、『宇部』の地名の由来になった『ムベ』というアケビ科の植物を初めて見たRieruです


そのムベの近くに赤い電話ボックスがありました。中に設置されている電話は緑色ですが…

ハッ


中津瀬神社!

こんなところに…こちらが一ノ鳥居?


かと思いましたが、境内に2基ありました。

こちらは大正10(1921)年7月1日に建立されたようで、境内の中では1番古い石鳥居になるようです。


大正10年…『小川の蜜カス本舗』さんの創業、

そして宇部市制施行が開始された年と同じなのですね。
(もうじき)100年ものの石鳥居になるのですか。


もしかして境内で一際目立つクスノキ(?)も、その頃に植樹されたものなのですかね。

あっ、


最近目にする機会が無かった、鏡餅〜キラキラ
三ノ鳥居からですが、お邪魔します。

入ってすぐ左側に、放生池がありました。地下水が龍の口から出ています。


これは霊水だそうで、近くに貼られていた水質検査結果書を見ても、綺麗な水だということがわかります。ボトルが空なら、汲ませていただいたのに〜。

泳いでいるのは、ヒブナ?


この中津瀬神社がある市街地は、昔小高い砂地が横たわっていたため水はけが悪く、『無毛上(むげじょう)』(作物が出来ない)だったので、年貢を納めることが出来なかったそうです。
当時の領主である福原房純(ふさずみ…第21代)氏が村上清右衛門純明(すみあき)に命じて、『沖ノ山』という砂洲を堀割って流すことに。
そして寛政9(1797)年に着工、翌年に完成キラキラ築堤堀割の長さは約1km、携わった人数は約1万6千人もいたのだとか。

恵比寿さま︰「新川開通が無事に完成したことへのお礼と、村の鎮護を願って『中津瀬神社』を祀ったわけよ。」


大黒さま︰「ここの神社のことを、『水神様』と呼ぶ者もおるよ。摂末社に『龍神社』があるしの〜。」

恵比寿さま︰「これが『龍神社』よ。右側の方は『恵比寿大黒社』になるんじゃが…」


大黒さま︰「『エビス大黒舎』という芸能事務所があるよの〜。」


イテテ


(かつて染谷将太さんが所属していたという?)


…なるほど、この辺りは水に纏わるエピソードが沢山ありそうですね。
て、私が(まだ参拝を済ませていないのに)あちこち撮影させていただいていると、神社にいらっしゃった自称『何でも屋』さんが声をかけてくださいました。
この時間帯なら、ええ撮影スポットがある!と。
なんと、本殿の千木(外削)が金色に水面に映るのだとか。


ご親切に案内していただいた場所は詳しく書くのは難しいので割愛しますが、こんな感じに撮れました。


おお〜、確かに金色に輝いております!


なんか、幸先良いぞ!ありがとうございました♩¨̮

いろいろ拝見させていただいて、二ノ鳥居が入るように拝殿を撮影しようと思ったら、拝殿の前に新車が…お祓いをされるようで(こんな場所で!)、当分駐車される雰囲気。
ええっと、何でも屋さん、もう少しお話を伺ってもよろしいかしら?


アイタタタ


(親切な方を時間潰しに利用しないでください←偶然です!)