昨日の早朝、カーテンを開けたら一面(うっすら)銀世界で顔がほころんだRieruです★
次の瞬間、あ…車…今日出勤なのにどうしよう!
イテテ
(路面凍結は恐ろしい!←20代の頃に滑った経験有り…事故にならなかったのが不思議なぐらい)
結局ノーマルタイヤで出勤!三度ぐらいスリップしてスリルを味わった女は、先月島根県松江市にある玉造温泉のお宿に宿泊しました。お宿はこの勾玉橋が架かっている場所に建っています。
なんと分かりやすい!
チェックイン後、また外出して温泉街を歩きました。持参していた傘は車に置いたままだったので、旅館の傘をお借りしました。
3種類ぐらいあったと記憶していますが、私は女性らしいデザインのものを。雨が降ったり止んだりしたので助かりました。
お土産を購入した後は、再びお宿『湯之助の宿 長楽園』さんへ。
この時、『日本一 庭園露天風呂』というぐらいしかお宿のことを知らなかった私たち。
先日NHKで放送された『ファミリーヒストリー 長谷川博己』で、『長楽園』が『長生館』とともに“長谷川本家”の分家だったことが分かり、大変驚きました。
館内には、由来と歴史を紹介したものが掛けられていました。
湯之助の由来と長楽園の歴史
「湯之助」とは、江戸時代に松江藩から玉造温泉を預かり、温泉に関する一切の差配を任された役職のことです。
1600年代初め頃、時の松江藩主 堀江忠晴公が玉造在住の長谷川という人を「湯之助」に任命して以来、長谷川家が代々その役職を世襲してきました。
長谷川家は後に四家に分家し、本家筋は他所に移住したと伝えられ、当館は「湯之助」の流れを汲み、現在も残る長谷川三家の一つです。
当館は果樹園業から始まりました。大庭園の作庭と大露天風呂掘削後、島根県知事の大浦兼武(子爵)の命名により当館の屋号「米子屋」から、現在の屋号「長楽園」と改名しました。
△ 検索したら『大浦事件』が出てきました…
幾多の文人墨客に愛され、棟方志功画伯が逗留された折に描いた、当館の露天風呂をイメージした「玉名泉之図」は、京都の龍村美術織物に依頼・作製して、現在はロビーで鑑賞いただけます。
昭和30年代からは、皇室御用達の宿として昭和天皇や各宮家から御用を賜り、平成30(2018)年に創業150年・株式会社化65周年を迎えました。
なるほど。本家筋は他所へ…番組では堀江吉晴のことにも触れられていましたね。
約4年前に訪ねた松江城に銅像があり、私はこの時初めて知りました…すみません。
現在大河ドラマ『麒麟がくる』に明智光秀役で活躍中の長谷川博己さんの江戸時代初期頃のご先祖さまは、この堀江吉晴の孫である堀江忠晴により玉造温泉の『湯之助』に選ばれたのですよね。
現在大河ドラマ『麒麟がくる』に明智光秀役で活躍中の長谷川博己さんの江戸時代初期頃のご先祖さまは、この堀江吉晴の孫である堀江忠晴により玉造温泉の『湯之助』に選ばれたのですよね。
番組では堀江吉晴は豊臣秀吉の側近で、本能寺の変の後、『山崎の戦い』で天王山を制したのが彼だったと紹介されていました。
明智光秀役の長谷川博己さん…長谷川家のルーツは明智光秀を滅ぼし(たのに加担し)た堀江吉晴が後に治めた松江藩(玉造温泉)…不思議な繋がりがありましたね。
そして玉造温泉には堀江家の静養地(御茶屋)である『一之湯』も。
ちなみに『湯之助』の役割の説明は、「お湯が出なかったりとか温泉の建物が壊れたときの修理とか等の一切を引き受けたり、相談事や揉め事を解決するのにも関わっていたとされていた」と番組では紹介されていました。
(鳥取県にある大山寺の話も興味深かったですが、今回は割愛します←いつか訪ねることが出来るのか?)
改めて館内で撮影させていただいたものを見ると、気になる美術絵画や工芸品がたくさんありました。
こんなのや、あんなの…
ロビーには、狛犬さんが西陣織で織られていました!
『獅子』二代目 龍村平蔵
あっ、狛犬さんではなくて獅子か〜!
イテテ
(恥ずかし!)
獅子の左隣には、碧玉(へきぎょく)…『青めのう』の原石が展示されていました。
私の力では持ち上げられないぐらいのサイズです!
えっ、待って。青めのうの原石がある『まがたまの小島』の『しあわせ青めのう』も青めのうの原石でしたよね?
アイタタタ
(美しい物を見せていただいただけて満足です♡)
↑↑↑
数ヶ月後にリベンジ出来ました!