山口の神社仏閣★常栄寺 本殿から見た雪舟庭編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




DIYしなきゃ…でも釣りも誘われたら行きたい!と、日々葛藤(欲)と戦うRieruです★

そんな時は成人男性三人組が歌う『ファッとして桃源郷』を聴いて…「ファッ!」


(歌えるように覚えているところですが、早口すぎてオバサン呂律がまわりません)



夜叉の構えから8時の方角を向いたら、かの有名な雪舟お庭があります。(←ワケが分かりません)


今年は雪舟誕生から600年にあたるそうで。それに便乗する形で初めて雪舟庭を見に、はるばる(?)山口駅から常栄寺まで歩いてきました。
『常栄寺の雪舟庭を初めて見たのは、雪舟誕生600年の秋!』と覚えやすいのもナイスです。
常栄寺の本堂の庭側には大きなガラス戸があり、室内からお庭が眺められるようになっていました。


なんと素敵なキラキラ
そして1人で座る勇気が無いので、不審者ばりにウロウロ。

ファッ!


驚くほど大きな『書』がありました。

『寿』良い字です。


『白隠禅師』が書かれたようで、下のようなものが書かれていました。


和訳

  圓頓(えんどん)は、初め実相を縁じ、境に造るに即ち、中にして、真実に不ざるなく、縁を法界にかくれば一念法界、一色一香る 中道に非らざる無く、己界及び仏界、衆生界亦然り、陰入皆な如、苦として捨つ可き無く、明塵労、即ち是れ菩提、集として断づ可能性き無く、辺邪皆な中にして正、道として修す可き無く、生死即涅槃滅無く滅として證す可き無く、苦無く、集無きか故に世間無し、道無く、滅無きが故に出世間無し、純一実相して、実相の外、更に別法無し、法性は寂然として、止と名づく、寂にして常に照すを観と名づく、初後を言うと□も、二無く、別無し、是れを圓頓止観る と名づく。明和第四ひのとゐ仏成道の日(12月8日)老□白隠(富士の姿を自己にうつして号す。)□書おいて書す。

なるほど!


イテテ


(無理しなさんな…)



見えるようで見えない。

見えないようで見える。


本殿のガラス戸のガラスがレトロガラスで、得した気分になる私。


午前中は日陰になるので、暑い日は過ごしやすい場所です。(偶然?)蚊もいませんでした。

こちらが噂の雪舟庭…ドーン!


文明3(1471)年4月、大内教弘の子 政弘が約200石の地を妙喜寺へ寄進し、雪舟に築庭させたという、雪舟庭!


あー、近くで見たい!

靴箱へ戻り、靴を履き、近くへ…の前に、本殿の下が気になり、寄り道ばかり。


はぁ〜、面白い!(←1人屈んで見てるアナタの姿こそ面白い!)


アイタタタ


(旅の恥はかき捨て←よい諺です…)


△ 借りれば良かったと後悔した杖!