気がつくと、明日はもう8月6日…職場の方と、明日は『原爆の日』じゃね、と話したRieruです★
明日は例年と違った式典になるんかね?という話題になりました。
年月が過ぎるほど、薄れていく戦争の記憶。
終戦後、シベリヤに連行され、抑留された香月泰男先生。
そんな香月先生の作品の多くは、長門市三隅にある『香月泰男美術館』に収蔵され、その中のいくつかは展示されているので、訪ねれば鑑賞することが出来ます。
そんな美術館には展望室があり、上がってみることに。
大きな窓があって、明るい
ん?雨の跡?
訪ねた日の前日の天気予報は降水確率80%以上でしたので、じつは雨のち曇りのち晴れ…この時の時間帯は晴れてくれました。
三隅のまちが、よく見渡せる!
この景色の中に、香月先生のお宅が見えます。遠くて、点にしか見えませんが。
展望室にはこのような絵があり、説明板にはこのように書かれていました。
〈私の〉地球1968年 (シベリヤ・シリーズ)
周囲の山の彼方に五つの方位がある。ホロンバイル、シベリヤ、インパール、ガダルカナル、そしてサンフランシスコ。いまわしい戦争にまつわる地名に囲まれた山陰の小さな町。生家があり、晩年まで絵を描き続けた『三隅』。
満州の兵舎で、シベリヤの収容所で夢に見続けた途土地。それは山口県の三隅町である。生まれ育った土地。妻子が待つ土地。そこにやっと帰りついた。「ここが私の空であり、大地だ。ここで死にたい。ここの土になりたいと思う。思い通りの家の、思い通りの仕事場で絵を描くことが出来る。それが“私の地球”である。」
注:この展望室の上空から俯瞰して描いたような絵地図、上のブルーは仙崎湾であり、中央には瞑想する手が描き込まれている。
瞑想する手…その手は、天井にある丸いライトにペンで描かれていました。
この展望室に上がる1階と2階の間の壁には、『愛情』という題名の壁画(縮小した複製)が飾られていました。
長門市立明倫小学校の校内にあり、その大きさは、縦385cm、横800cmもあります。
昭和46(1971)の夏、三隅町(当時)からの依頼で壁画を制作することになった香月先生が、夏休みの休校中に自ら鏨(たがね)を振るい、彫刻されました。
中庭にも、足を運んでみることに。
シンボルツリー?の周りに、例のおもちゃや、そのおもちゃを大きくした作品が配置されています。
…ん?たばこ?
懐かしい看板…これも廃材として拾われたものの一つなのでしょうか?気になります。
このおもちゃたちと一緒に撮影されると、記念になりますね♪
玉乗りさんと、同じポーズを取ったりして☆
木の根元には、4体のおもちゃが。
ん?
歌ってる?
平和を打ち鳴らせ、PEACE太鼓!
PEACE太鼓の大きいのは、館内にも…
あっ、メインの展示は『石と水』です!
アイタタタ
(肝心なのは最後か…)