連日、カラッと晴れた日が無くて自宅の何ヶ所でカビ香を感じるRieruです★
ヤバい、ヤバい、ヤバい…カビアレルギーは、まだ大丈夫か?頭痛がしてきたら、いよいよヤバい。
洗濯物は部屋に干したりしないのに(帰宅後まとめて一気に洗濯してコインランドリーで乾燥するため)、な・ぜ?…とにかく恐るべし、カビ。なるべく自宅に居ないようにするしかない?
そんな理由ではありませんが、先日萩市へ1泊旅行してきました。
最初に赴いたのは、初代藩主 毛利秀就並びに毛利家偶数藩主たちの菩提寺である、大照院(だいしょういん)。
数日前の天気予報では絶賛雨予報だったのに、日頃の行いが良いのか、曇りのち晴れでした。(←え?)
さらに左手には墓所配置図がありました。
…iPhoneのカメラに慣れていないからか、右端の秀就さんが切れてます。
イテテ
(ガッデム!)
椿東にある奇数藩主たちが眠る『東光寺』もそうですが、石灯籠の数に圧倒されます。600基以上あるらしいのですが、私は家臣らに見えてなりません。
大照院を訪ねた次の日に、吉田松蔭の遺髪が納められているお墓に参ったのですが、そこで作業されていたボランティアの男性にあの灯篭は何に見えますか?と問われた際に、家臣のように見えるということを思い出しました。
結局見る者でそれぞれ答えが違うようですが、なぜ、私は家臣…人に見えたのか?
石灯籠の高さが妙に私の身長と、そう変わらないような気がしまして。
ボランティアさんに教えていただきましたが、中国の兵馬俑(へいばよう)に見える人もいるのだとか。
関ヶ原の戦い後、萩に移封された藩主に付いてきた家臣たち。
それぞれの家臣がそれぞれの想いと家族を連れて、この萩の地にやって来て、萩の地に眠っています。
厳かな気持ちで参…キャッ!←という声は発していませんが、ヘビの抜け殻発見☆さて。肝心のお墓ですが、配置図の通りなので割愛します。
特筆すべきは、当時の他藩とは異なり(いや、いらっしゃるかもしれませんが)、奥さまと同じ大きさのお墓ということです。
現代なら、当たり前でしょ!というところですが、江戸時代でのことですから。
藩主が先に旅立たれた数年後に奥さまが亡くなられるパターンが多かったでしょうが、歴代藩主に倣って墓の規模を揃えるようにと、遺言を遺されていたのでしょうか。
△ 中には立ち入らず、ズームで撮影させていただきました
いずれにせよ、仲良く平等に並んでいるというのは、ホッとするところであります。
お墓たけど。いや、お墓だから?
その墓所に鳥居、というのも、また珍しいですよね。
ふと、この石灯籠に火を灯すと、幻想的なんだろうな〜と想像していたら、後日『萩・万灯会』(8月13日)という迎え火を石灯籠に灯すという、萩の風物詩を知りました。
今年はコロナの影響で行われないようですが、いつかこの目で石灯籠の中を揺らぐ火を見てみたいものです。(検索したらHP等で見れます)
…虫除けスプレーや、ムヒ持参でね。
アイタタタ
(10ヶ所近くも、蚊に刺され申した…)