岩国駅周辺(乙女の像発見)を散策したっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



昨日、例の20代後半の職場の方♀と服の色が被ってはいけないとふと思い、急遽ボーダー柄のポロシャツを選んだRieruです★

ボーダー柄に変更する前は黒いボタンシャツを着る予定でした。
そして職場で彼女を見ると見事的中、黒色のシフォンシャツでしたよ!
良かった、被らなくて!
そして流石に2日続けて黒は着ないだろ〜と予想して黒いボタンシャツを着ていくと・・・彼女、黒色のTシャツを着ていました。


イテテ


(別の意味で的中!)


服の好み?波長?が合いすぎて気疲れした女は、先日岩国駅に行きました。


いろいろとキレイになりましたよね〜キラキラ


2階の駅構内の通り(自由通路)には東西駅前広場の完成を記念して、複数枚のパネル(ポスター)が展示されています。

△ ほんの一部

そこには、初代岩国駅開業時の駅舎が。


わぁ、人力車がズラリ☆

パネルには・・・

明治20年頃それまで交通運輸は、わずかに陸運会社と海上船舶であった頃、鉄道敷設の機運に向かって、吉川家でも山陽鉄道(株)の鉄道株を申し込んだ。同28年臨時建設部が広島に置かれ、広島・新港・由宇・柳井津・徳山・宮市に建設事業所を置くに至ったので、岩国では停車場を設置するよう、運動を始めた。明治30年9月25日に広島〜徳山間が開通し、岩国駅も開設せられた。

・・・と書かれていました。

その後いろいろ築きあげられましたが、終戦前日の大空襲により全焼してしまいます。


この時に犠牲になられた方々の追悼のために建立された『乙女の像』が、西口に建っていました。


ローカルニュースで知りましたが、ハト公園から移設されたそうです。

△ 足元には説明板が

さらにその前は駅前にあったのだとか。なるほど、元々建っていて、帰ってきた!という感じなんですね。


しかし私は大空襲のことをあまり知りません。
そんな私がショッキングな写真を、例の自由通路で見付けました。

え・・・何、この穴ぼこは?

△ 爆撃された岩国駅周辺

被弾した跡のようです。広島・長崎に原爆を落とした後にも、いくつかの場所でしつこく空襲をしていた・・・という事実を知った時は、戦争を心底呪わずにはいられませんでした。
100機以上のB29が・・・しかし人はやられっぱなしではありません。
直径約5〜30m、深さ約5〜10mもある通称『爆弾穴』は溜池のようになり、なんと釣り堀を営んでいる者もいたとか。


商魂逞しいったら!

乙女の像を見た日にこの爆弾穴のことを知ったので、像を見る度釣り堀の話を思い出すと思いますが、許してください。


しかし、約60年も前に建立されたそうですが、なんともいえない綺麗な色ですね。

・・・ペンキで塗り直されては・・・いないですよね?多分・・・


アイタタタ


(夜はライトアップされて更に美しいようです)