岩国市『宇野千代文学碑』周辺の薄墨桜が満開になる頃に訪ねたかった女 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




母の日のプレゼントが母の元に届いたようで、母からお礼の電話がありましたが泣かれてしまったRieruです★

正しくは涙声だったのですが、こちらまで貰い泣きしそうになりました。
私の娘らも毎年いろいろ考えてプレゼントしてくれますが(ひけらかすのは控えますm(_ _)m)、もう20年もすれば泣いてしまうのでしょうか?
ちなみに新婚の頃から2〜3年間お義母さんに綺麗なお花の鉢植えを送(贈)っていましたが、帰省時に「お金が勿体無いから来年から送らんで」と言われ、それを真に受けて遠慮なく送っていません。


イテテ


(感謝はしています!)


嫁からより実の息子から送られていたら、もしくは?・・・と斜めに捉えがちな女は(←オイ!)、桜の花が満開の頃に岩国市にある『宇野千代文学碑』を訪ねました。
じつは2月のよく晴れた日に、1度訪ねております。


県道144号線を高森亭から椙杜八幡宮方面へ歩いて行くと、左側に背の高い看板が出ているので分かりやすいです。
駐車場を横切り、更に左側を見ると、大きな枝振りが特徴的な木が碑の傍らにありました。


きっとこの木は小説『薄墨の桜』にちなんで、薄墨桜に違いない!と思った私は、桜の花が満開の頃に改めて訪ねたわけであります。








・・・訪ねるのが約1週間遅かったようです。


イテテ


ソメイヨシノと薄墨桜の開花時期はズレていることを知っていても、「もしかしたら・・・」と僅かな期待を胸に抱いて訪ねたわけです。


その期待は見事に打ち砕か・・・れませんでした!


花曇りで見えにくいですが、少〜しだけ咲き残っておりましたよ桜

過ぎた日のように日本晴れであれば、よく見えたかもしれませんね。


次に訪ねる機会があるならば、日本晴れの空に映える満開の薄墨桜を愛でたいものです。

桜ばかりに目がいきますが、足元にはハーブのラムズイヤーが生えていました。


これは2月の時に撮影したもので、今回撮影したのはこちら。


当たり前ですが、大きくなっていました♪葉がフカフカして、思わず触ってしまいますね。
しかし、なぜこんな場所にラムズイヤーが?次回訪ねた時まで残っているといいのですが・・・できればここだけ除草剤を撒かずに、そのまま残しておいてほしいです。

石碑の近くには、変わった形の板に書かれた、宇野千代先生の年譜がありました。


今更感があるかもしれませんが、書かせていただきます。

明治30(1897)年11月28日
     岩國市川西町に宇野俊次 トモの長女として生まれる
     実母トモ死去により高森の父の実家にて幼少期を過ごす

大正2(1913)年  16歳
     岩國高女を卆業川下村尋常小学校の代用教員となる

大正6(1917)年
     従兄弟の藤村忠にともなって上京

大正10(1921)年  24歳
    懸賞短編小説に応募「脂粉の顔」が一等に入選

昭和4(1929)年  32歳
     「新選宇野千代集」出版

昭和8(1933)年  36歳
     「色ざんげ」を発表

昭和11(1936)年  39歳
    スタイル社創立 ファッション雑誌「スタイル」を創刊

昭和25(1950)年  53歳
     「おはん」を発表

昭和32(1957)年  60歳
     「おはん」により第5回野間文学賞を受賞
     第9回女流文学賞を受賞

昭和46(1971)年  74歳
    「或る一人の女の話」「私の文学的回想記」を発表
第10回女流文学賞を受賞

昭和47(1972)年  75歳
     第28回芸術院賞を受賞

昭和49(1974)年  77歳
     勲三等瑞宝章を受賞

昭和51(1976)年  78歳
     「薄墨の桜」を発表

昭和52(1977)年  80歳
    「宇野千代全集」全12巻を出版

昭和57(1982)年  85歳
     「生きてゆく私」を発表
第30回菊池寛賞を受賞

平成2(1990)年
    岩國市名誉市民となる
文化功労者として顕彰される

平成8(1996)年6月10日
     東京都虎の門共済病院において逝去
勲二等瑞宝章を受賞



碑の傍らには高森の実家のことが書かれた原稿をそのまま写したものがありました。


・・・読めない字があったので割愛します。


イテテ   


(コラ!)


薄墨桜がバーッと咲き誇った背景を思いうがべながら撮影した文学碑。


まだ宇野千代先生がご存命の平成6(1994)年10月15日に建立されたようです。
この場所は宇野本家屋敷の一角だそうで。

碑には、このように刻まれていました。


この高森の
廣い往還を
思ひ出すたびに
なぜあの山奥に
ふいにあんなに美しい
町並みがあつたのか
不思議に思ふ
宇野千代


「或る一人の女の話」より・・・ですね。


久しぶりに宇野千代先生の小説が読みたくなりました。

・・・図書館、まだ閉まってる。


アイタタタ


(じつは数冊所有しているので、大人しくそれを読みます←新しく買いなはれ!)



錦川と島田川の間で桜追う旅
(※ 4/3)

椎尾八幡宮椎尾八幡宮(狛犬②③)吉香神社吉香神社(狛犬①②)白山比咩神社(狛犬)岩国城本家 松がね高森亭→『宇野千代文学碑』→椙杜八幡宮(狛犬②)フラワー&グリーン クッチ