島根の神社仏閣★日御碕神社 日沈宮 神の宮 御神砂守編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




気分が良いと、つい調理中に歌ってしまうRieruです★

娘A︰「食べ物に唾が入ったら汚いじゃん!」

大丈夫、腹話術を意識して歌っているから。


イテテ


(つまり大きな口を開けて歌ってはいないということです←それでも調理中は控えた方が良いに決まってる!)


その中でも『春よ、来い』を歌う回数が多い女は、昨年行った女3人山陰旅行で日御碕神社を参拝しました。
桃山時代の面影を残す朱塗りの権現造りの社殿は美しく、 見る者の心を奪います。

△ こちらの灯篭がまた大層古くてイイ感じです

社紋は三つ柏です。


柏の葉は神聖なものとして、神職の家が柏葉を家紋にしておられるようですね。

日御碕神社は主に『上(かみ)の宮』と『下(しも)の宮』から成り、楼門から真っ直ぐに見える拝殿本殿等が『下の宮』=『日沈宮(ひしずみのみや)』になるようです。
ちなみに上の宮は安寧天皇の勅命により、紀元前536年に祀られたのだとか。
元々は経島(現在はウミネコの産卵地になっている)にありました。
そして下の宮は948年に村上天皇からの勅命を受けて祀られることになったそうです。


“ 伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん”と神勅により祀られたのが始まりなのだとか。
なるほど、夜を守る・・・ちなみに御祭神は天照大神(ほか)ですが、千木が男千木(外削ぎ)なんですよね。
てか厳密に言うとそれは俗説らしく、神社本庁の公式見解では、「必ずしもそうとは限りません」と言われています。
目からウロコ〜☆

では、素戔嗚尊が御祭神である『上の宮』=『神の宮』の千木はどうなっているのでしょうか?逆なのでしょうか?


“上の”というだけあって、下の宮から右側上の小高い場所に建っていました。


詣でるには、階段を上がりましょう。


(別の角度からですが)あった、ありました!


案の定、女千木(内削ぎ)でした。なるほどです。


上の宮と下の宮の本殿内陣の内壁や天井には、狩野派や土佐派の絵師らによって絵が描かれているそうです。う〜、拝見したい!
社殿に施されている彫刻も素晴らしいものでした。その上に彩り豊かな色彩もあしらわれていて、大変美しかったです。

上の宮の後方の辺りには『神紋石社』がありました。


後日調べてみますと、柏の化石が石の表面にあったそうです。
現在その化石は風化してただの石に・・・非常に残念!

その社の近くには、朱塗りの鳥居が何基かありました。


稲荷神社でしたが何となく寂しい場所にあり、友人らは奥まで進むのを嫌がっていました。(←失礼な!)
私も1人だったら躊躇したと思います。


正面を向いた(眷属の)キツネさんがお出迎え。

キツネさん︰「とにかく心を落ち着かせて、静かに参拝してね。」

△ 『出雲大社守護』と書かれた御札が・・・

他にも十九社摂末社や蛭児神社や韓國神社があるようです。
境内図に従い、全てに参りたいところですが時間の都合で割愛しました。後日境内図をよく見てビックリ!
日沈宮の本殿背後から日本海側に目を向ければ、経島(ふみしま)の方角に向いていることが分かりました。


日沈宮は元々、経島にあったものを移されたんですもんね。
そして大変興味深いことに経島周辺の海底には、まるで遺跡のような痕跡が確認されているようです。
時代を越え、形を変えて信仰が・・・日御碕神社は本当にすごい場所ですね。

そんな日御碕神社には、昭和天皇も足を運ばれたそうで、それを記念した歌碑が日沈宮の右側にありました。


昭和57(1982)年に、『くにびき国体』があった際に出雲大社や日御碕へも訪ねられたということです。(皇太子時代の平成天皇 皇后美智子さまも国体の開会式に出席されるため、島根県へ。出雲大社へは参拝されましたが、日御碕へは寄られず・・・)
その時に詠まれた歌が刻まれていました。

秋の果の碕の浜の    みやしろに
をろがみ祈る    世のたいらぎを

昭和61(1986)年には、お若い頃の令和天皇(という呼び方はしない?)も訪ねられたそうです。

もう1つ神の宮の方に、昭和49(1974)年に奉納された石碑があるのですが、こちらには『御神砂之碑』と題がありました。


簡単に書きますと、地鎮祭用にいただいた御神砂を交通事故で瀕死の重症だった人たちに付けると、一命をとりとめたのでお礼に?この御霊現を世に知らしめるため?に建てました的なことが刻まれています。
3人揃って、へぇ〜。
この御神砂なるものが入っている御守りが、社務所で500円でいただけます。


もちろん御利益は病やケガが平癒し、厄除けにも。しかも返さなくてもよいらしいです。

この御砂について紙が付いていました。それによりますと・・・
   日御碕神社の「お砂」は古来、出雲屋敷と申す地鎮祭の鎭(しず)め物として用い、神社敷地と同じ清らかな屋敷になるよう、お清めとして使う「お砂」でありますが、昭和40年に群馬県の堀田靖二氏が新店舗の地鎮祭の為「お砂」を戴き、たまたま交通事故で医師から見放された友人に塗りつけたところ一命を取り留め、しかも全快従前通りの運転手の仕事ができるようになり、その他交通安全、車酔い止め、悪霊退散など不思議な奇跡体験者が多数となり関東を中心に御神砂報賽会が結成され昭和49年日御碕神社境内に『御神砂の碑』が建立されました。

(石碑に書かれていることとほぼ一緒m(_ _)m)

この御神砂は海浜の砂なんですかね?


開けてみると潮のかおりはしませんでした。
ちょっと舐めてみると分かるかも?
しかし、さすがの(?)私も舐める勇気はありませんでした。もし海浜の砂なら傷口に付けたらしみるし、衛生的にも・・・

いや、きっと包帯とか服の上から御神砂を付けたんじゃない?


アイタタタ


(御神砂が足りなかったら、どうしよう・・・←また参拝しぃ)