山陽小野田市『瓶垣』の案内看板をもっと増やして欲しい女 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



雨の日は、余裕があればコインランドリーの乾燥機を利用するRieruです★

たまにコインランドリーの駐車場を使わず、入口に車を横付けする女性を見かけますが、本当に迷惑!
その車にこちらが当たらないように気を付けなくてはならないなんて、全くオカシな話です。
しかしガツンと注意する勇気もない←そして記事に書いて勝手にスッキリする女☆
でも雨に濡れたくない気持ちは分からないでもないです・・・そろそろコインランドリーの駐車場に、屋根を付けてくれませんかね?

料金が倍になってもいいなら〜・・・


イテテ


(駐車場に屋根が付いているコインランドリーを未だに見た事がありません)


天気の良い日に、山口市→宇部市→山陽小野田市を訪ねましたが、どうしても見てみたいものが山陽小野田市にありました。
昨年『古地図を片手にまちを歩こう』企画でいただいたパンフレット類の中に、山陽小野田市にある『瓶垣』の写真があり、その姿に感動したのです。

瓶で垣、作っちゃってる!

△ 『やまぐちビューなび』より

元々ある石垣と比べると、瓶の一つ一つは決して小さいものでは無いことが分かります。
どんなものが中に入っていたのでしょうか?
実際にその瓶を見るべく、小野田にやってきました。


ありがたいことに、『やまぐちビューなび』の看板があります。初めて訪ねて来た者にも分かりやすくて助かります。

指示通り進んでみましょう。


途中、瓶がありました。この瓶は硫酸を入れるための瓶で、そのまま『硫酸瓶』と呼ばれていました。

車で進むのは困難のようなので、広場のような場所に駐車させてもらい、徒歩でさらに奥まで進みます。

瓶がたくさん見えるけど・・・ここですかね?


『やまぐちビューなび』で紹介されていた画像とは違う場所のような?

有刺鉄線があるため、拒まれているような雰囲気を醸し出しております。


せっかく辿り着いたと思ったのに、ここは違うようでガッカリ。

車には戻らず、例の画像の瓶垣を探しに散策しました。

おっ、蓋と取手付きの状態の硫酸瓶を発見☆


私が思うに、なかなか大きさもあるし、欠け等も無いし、これは価値がある陶器ではないかと思います。
それなのに、廃タイヤにinされてるなんて。


イテテ


(安定感があるし転倒予防のため?)


硫酸を入れるからには、どこかに硫酸があった?と思い調べてみると、明治22(1889)年に硫酸会社が出来たようです。
最初の頃は、ドイツの硫酸瓶を輸入したり、信楽焼を購入して硫酸を入れていたようですが費用がかさむので、近くにあった『旦』という場所で作っていた陶器に目を付けたのだとか。
試行錯誤の末、明治26(1893)年に硫酸瓶が完成し、大正時代には焼酎瓶も作られるようになったそうです。

焼酎瓶も見つけられるかな?


あ、硫酸瓶を発見☆


取手は全て取った状態でした。


この硫酸瓶に硫酸をなみなみ入れて持ち上げたら、腰にきそうです。

硫酸瓶が現役の頃は運ぶ時、大変だったのでしょうね。
落としたら割れてしまいますし・・・戦後しばらくしてポリエチレンの容器の登場、さらに大型タンク車が現れて、硫酸瓶の需要が減り、ついには使われなくなりました。


その使われなくなった硫酸瓶を石垣に見立てて積んだのですね。
そのような経緯で、日本では小野田でしか見られない光景を見ることが出来るわけですか・・・


ん?瓶垣ではなくて、土管のように見える陶器が積まれた箇所がありますよ?


土管も作られていたようです。

蛇等がお休みするのに適していますね。


山口県では防府でしか作られていなかったのかと思っていました。

結局、『やまぐちビューなび』の画像のような瓶垣は見つけられず・・・


イテテ


不完全燃焼で、海へ向かいます。


その道中、ある一角に硫酸瓶が埋まっているのを発見☆

斜めに埋もれていらっしゃる姿がイイ!


さらに先では、巨大な硫酸瓶(甕?)も設置されていたりと、かなりアピールされていました。

アピールは大いに結構なのですが、瓶垣への道順をもっと分かりやすいように案内看板を増やして欲しいです。

単にアナタの探す能力が、低いだけなんじゃあ・・・?


アイタタタ


(『山陽小野田市歴史民俗資料館』に行く気も失せ・・・そしてリベンジは当分ムリです←暑いから?)