夕方のニュースで、明日は大雨らしいことを知ったRieruです★
明日洗濯する予定の洗濯物を、今夜のうちに洗濯して部屋干ししよう。
ついでに明日明後日の買い出しもしておこう。
あ・・・明日、郵便局と銀行に用事があったー!
イテテ
(通勤以外の用事で外出したくない!)
そんないろんな段取りを考えてしまう梅雨時期・・・の前に防府市にある『周防国分寺』を訪ねました。
△ 約4年半前に訪ねたきり・・・
乳鋲(ちびょう)ー!
仁王門(楼門、県指定有形文化財)の扉には、計6個の乳鋲があり、合わせて3人分のおっぱいが迎えてくれました。←コラ!
そして仁王さま(金剛力士像、市指定有形文化財)も・・・あれ?
いらっしゃいませんでした!
イテテ
(室町時代後期の作らしいですが、いずこへ?)
そんな文禄5(1596)年に毛利輝元(てるもっちゃん)が再建した仁王門そばの塀は、格式の高い筋塀になっています。
しかも、“5本線”ってすごいことなのでは?
『古地図を片手にまちを歩こう』で山口市の龍福寺さんに立ち寄らせていただいた時に、ガイドさんから“塀に3本線があるのは格式がある!”と聞かされ、へぇ〜と感心したものです。
近くに、この筋塀のことが書かれた看板があり・・・
御所・門跡寺院・勅願寺院などで用いられ、皇室に対する格式を表し、その格式の高さにより三本、四本、五本があり、五本を最高とする。
・・・と書かれていました。
なるほど。
塀の瓦にも普通の寺院では見られない『國』とあります。
ほぉ〜。
・・・裏は真新しいかったけども。
塀も綺麗に塗り直されるのですかね?
ってか、楠(クスノキ)の大木、スゴすぎ!
筋塀を乗り越えて、とんでもない長さの枝が張り出しています。
別の場所から見てもスゴい!
仁王門や筋塀が小さく見えます。
どれほど大木なのか?
かなり離れて見てみると、怖いぐらい巨大!
樹齢は約600年らしいです。約600年前といえば、陶隆房(すえたかふさ・・・晴賢)が主君 大内義隆に対して兵を挙げ、防府口、徳地口より山口に攻め入るより前ではないですか。
(その後 毛利元就サンが陶晴賢を厳島で討ち、軍を周防に進めましたね)
長い間周防国分寺を見守っていた楠・・・のそばに、『塔址』(塔跡)と刻まれた石碑を見つけました。
石碑自体は比較的小さなものでしたが、その“塔”は奈良時代に建てられた、七重塔だったようです。
はい?七重塔?・・・!
七重塔!
いや、その前に枝を曲げるか、カットするんじゃあ、ないですか?
アイタタタ←楠の精の声が!
(防府天満宮の楠は推定樹齢800年だそうです・・・)
✿❀ 今回の防府小旅行のコース ❀✿
↓
東大寺別院阿弥陀寺(あじさい寺)→潮彩市場→ウミコヤ38→『周防国分寺 塔跡』→金堂・聖天堂→周防国衙跡→馬神様→足王様→防府天満宮→まちの駅 うめてらす→野田西村(愛染工房・旅館)→AIMA(カフェ・ギャラリー)