大河ドラマ『いだてん 〜東京オリムピック噺〜』第21話(櫻の園・・・前半)を観たっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



明日の大雨には要注意!な、山口県に在住中のRieruです・・・

山口県だけではなく、もちろん近隣周辺も。特に九州地方は恐ろしい予報が発表されているので出来るだけ早目に、かつ安全に避難して欲しいですよね。
明日は仕事など用が無ければ外出を控えたいところですが、もし公共交通機関がストップすればアッシー君の如く車で迎えに行かなくてはなりません。頭領は帰宅していたとしても、次の日も仕事だから夜はしっかり休んでもらうため、迎えに行くのは当然私。

・・・私も次の日は仕事なんですけど?


イテテ


(頭領には到底及ばない賃金ですが・・・)


しかも1番早く起きます!と言ったら愚痴になるので記事に書かせてもらい、勝手にスッキリした女は、さらに気分的にスッキリするため、大河ドラマの『いだてん』の21話を観ました。

アントワープオリンピックで結果を出せず、傷心のまま前回中止になったベルリンへ赴いた四三さん。
そこで偶然、様々な競技を練習していた女性たちに出会います。


そこで四三さんは興味を持ち、槍投げをしていた女性に写真撮影を依頼し、少し打ち解けたところでアスリート?と尋ねます。
彼女は競技について、“少し”学校で学んだと教えてくれました。


そして逆に国は何処?を聞かれたので素直に答え、さらにマラソンランナーであること、アントワープオリンピックに出場したことを話すと彼女らの関心はMAX!
オリンピック!あの女性の夫が槍投げの選手としてベルリンオリンピックを目指していたということ、けれど先の大戦で亡くなったこと、彼の形見である槍を使っていることを四三さんは知ります。


ドイツは敗戦国ということで、アントワープオリンピックは不参加()
槍でも投げなきゃ、やってらんないわ!ということで、競技に励んでいるのでした。


槍を投げる時は、“くそったれ!”・・・口々に“くそったれ!”
ストレス解消には持って来いですね。
そこで彼女らは四三さんにも槍投げを勧めます。1度は断るも何人かの女性に促されて槍を持たされ、定位置に。

あーーー!


さすがに“くそったれ!”とは叫びませんでしたが、モヤモヤは多少スッキリしたのでは無いでしょうか?

スッキリしないのは髪型ですが、これはこれで似合っていますね。


秋に帰国後、四三さんはシマちゃんに競技中の彼女らの写真を見せながら、前述の話をします。

シマちゃん︰「素敵です。こんな凛々しい姿で運動出来たら、爽快でしょうね。」

四三さん︰「・・・俺(おい)もたまがったばい。敗戦国ドイツのベルリンの広場で女子が体育ばしよる。赤子をおぶったまま、ボールを追いかける母親もおった。母は強か。おなごは強か。不屈の闘志もこっから生まれる。ドイツは立ち直る。女子はもう立ち直っとる。・・・そう、女子ばい。おなごの番たい、シマちゃん。おなごの体育ば俺はやる。だけん、まだ間に合うと。・・・シマちゃんが、オリンピックに。」

そこへ“増野”という日本橋の百貨店に勤めているという男性が現れます。


元は二階堂トクヨ先生のお見合い相手で、トクヨ先生からシマちゃんに話を断るようお願いされて出会ったのがきっかけで、時々逢瀬を重ねているようでした。

シマちゃん︰「ところで奥さまには、もう会われました?」

・・・まだかいな!ということで、下宿先のハリヤマさんへ向かうと、四三さんを見つけたスヤさんが正明君を抱いたまま駆け寄ります。
あの報告会からずっと下宿先で待っていてくれたんですね。


段々と立派になっていく、『ハリマヤ』さん・・・製作所という名前も付いています。
ゴム底足袋が売れに売れているようで、お店は繁盛していました。
その2階では、親子水入らずの時間を過ご・・・したいところですが、女子体育に力を入れたい!という話を治五郎先生にしたら竹早町にある『東京府立第二高等女学校』(東京府・・・1868〜1943年)を紹介され、そちらに勤めることに。
スヤさんはてっきり熊本に帰るものだと思っていたので・・・プチッ。

四三さん︰「熊本にはそのうち帰るけん!ばってん、それは今じゃなか。」

泣き始める正明君。荷造りをし始めるスヤさん。四三さんを置いて帰るのか?と思いきや、後ろからハグ!
ハグ〜♡


そして前からもハグ〜♡ハグの威力、スゴい!結局東京で3人、暮らすことになりました。

女子体育に力を入れたい・・・とアントワープオリンピック後 本格的に取り組んで行くわけですが、『金栗四三 消えたオリンピック走者/佐山和夫著』で紹介されていた、四三さんから池部家への手紙の中で、女子体育への意識の高さが伺える内容がありました。

   ・・・(割愛)スヤも少しずつ身体の注意なり又心の修養をやらねばならないよ。
   殊に途中久留米で見た独逸(ドイツ)の捕虜共、雨のふる日も幾時間かは散歩したり運動したりしてゐる。敵国に捕らわれ乍らかく身体を大切に他日の大成を果たさんとするのは感心で吾々日本人の模範とすべきである。此の習慣の出来たのは思ふに西洋婦人が運動好きであるほか運動についての考えがあるからで人の妻となり母となりて子女を教育する時にも、日本婦人の運動に趣味なき者が子供を教育するに比して大いに異なる。之が子供の頭に染み大人になりても常に運動し、身体が丈夫であれば勉強も出来、大業が出来る。この事を考へてスヤなども今一人身の時から此方面のことをやっておかねばならぬ(略)

これはアントワープオリンピックに出場する随分前、大正4(1915)年2月6日の手紙で、このような考えが下地にあったようです。
あるいは可児先生の影響・・・いや、アメリカ留学から帰られる前の手紙でした。

一方、浜松のまーちゃんの脱いだズボンのポケットから盗った財布(資金)で、東京に戻ってきた朝太さんは、ある店で一杯引っ掛け・・・あっ!清さんと小梅ちゃん!


なんと車屋を辞めて所帯を持ち、夫婦でお店を営んでいました!

小梅ちゃん︰「・・・いろんな男と恋に落ちたけど、こんなに近くにいて何も無かったのは清だけなのよ♡」

朝太さん︰「俺もなんも無かったよな?俺もなんも無かったのに、指詰められそうになってたよな?」

小梅ちゃん︰「何にも無いのに世話焼いてくれるってことは、何かあったらもっと世話焼いてくれんじゃないかって♡・・・今じゃ私の方がゾッコンなんだから、分かんないもんね〜?」

そこに間男登場!


って、美川さんじゃないですか!間男か・・・似合い過ぎて怖い!
小梅ちゃんに怒鳴られてしまうも、やはり情に厚い女 小梅ちゃん☆最後まで悪女になりきれないのでした・・・

 そして朝太は、名を改め『円菊』に。


それを見つめる男性。先の展開が楽しみですね。

翌年の大正10(1921)年4月の桜舞う頃、四三さんは例の女学校 通称“竹早(たけはや)”に赴任します。
竹早といえば、東京女子師範高等学校(現 お茶の水女子大学)と並ぶ名門女学校だそうで、そこで女学生は“良い嫁・賢い母親”になる為に厳しく躾られました。


前年に赴任した校長先生は若いくて熱意のある教員を多数採用したようで、スポーツや芸術にも力を入れます。
ここでの四三さんは史実では、後にマラソン以外に登山の指導や、郊外への遠征旅行を企画したり、豪華客船に乗っての修学旅行を取り入れたりしたそうです。
ですが、その域に達するまではまだ先の話。
まずはあの手この手で女子生徒たちに女子体育の素晴らしさ、大切さ等を熱く語ります。


四三さん︰「強健な肉体!それこそが、最高の“美”である。最も、美しい。逞しく凛々しか姿になってもらう。え〜、早速今日の放課後からトレーニングば行う。あっ、強制はせんけん。来たいもんだけ、来たらよか。」

若干、空回り感・・・

張り切って放課後のグランドで待つ四三さんでしたが。


・・・誰も来ない。


アイタタタ


(そんな予感がしてましたm(_ _)m)