先週から花粉症の症状が出ているので、今朝市販薬を服用したRieruです★
耳鼻咽頭科の病院で薬を処方してもらえばよいのですが、とりあえずということで。
しかし服用する時期が遅かったからか(せめて症状が出る一週間前にすることが)、昼食中に鼻がむずむず…
ヤバイ!
このままでは口の中の物が前方に飛び散る!
サッとポケットからハンカチを取り出し口に当て、事なきを得たのですが、再びむずむず…
2回目の攻防成功☆
この時期は、ハンカチを毎日3枚は用意した方が良さそうですね。
いや、だから、早く薬を飲んどけば良いんですってば!
イテテ
今まさに目が痒くて堪らない!女は、連休中に萩市で開催されていた(〜4月3日まで)、『萩城下の古き雛たち』の展示を観に行ってきました。
城下町エリアや浜崎エリア等でも展示をされていますが、藍場川沿いにある『旧湯川家屋敷』を見学し、ホクホク(*´▽`)♪←雛人形は?
左側の方から、引き込まれた水が流れて来ています。
ワォ!立派な池が♪
…鯉反応は0(-_-;)。
現在は?引き込み口に柵がしてあり、鯉が入れないようにしているそうです。
庭はキレイに手入れされており、ツツジの季節も鑑賞したくなりますね。
建物を抜けて庭の奥に進むと、桂太郎さんの立像がありました。
『公爵 桂太郎誕生地』と刻まれた立派な石碑も。
桂太郎さん、幕末には四境戦争(第二次長州征伐)で石州口に出征し、凱旋後は明倫館で学んだそうです。
鳥羽伏見の戦いでは敵情視察をしたり、明治に入ってからは東京&ドイツに留学し、日清戦争を経て(この辺割愛)第2代の台湾総督(児玉源太郎サンは第4代)にも。
有名なトコでは、第11・13・15代の内閣総理大臣を務められたというコトでしょうか。
屋敷の中には、桂太郎さんの肖像画が飾ってありました。
※ 反射して見づらいですが…
…と、庭に建っていた立像ですが、現在の拓殖大学にあたる台湾協会学校を、明治33(1900)年に創設されたのが縁で、拓殖大学が創立100周年を記念し、平成12(2000)年に(萩市に)寄贈されたものだそうです。
なるほど。
その拓殖大学の学生さんが見学に来られて、校歌を歌われることもあったのだとか。
校歌が作られた大正8(1919)年で、桂太郎さんが病気で亡くなられた年は大正2(1913)年…“拓殖大学”という校名が付けられたのは大正7(1918)年…
屋敷に飾られていた論語の『里人為美』。
桂太郎さん筆で、『里は仁を美すと為す』と読むそうです。←オイ、意味は?
イテテ
(ご興味があれば検索してくださいm(_ _)m)
屋敷の観覧料は100円で、スタッフさんが(少しだけ)案内してくださいます。
縁側の角の造りがツボ☆
あ、雛人形、雛人形。
こちらは昭和のもので、古今雛(江戸後期に江戸で完成された雛人形)だそうです。
萩・明倫学舎と同じく、1セットのみの展示でした。
屋敷の部屋数は少なく、おいとますることに。
ちなみに現在建っている旧宅には、明治42(1
909)に建ったのにも関わらず、桂太郎さんは住んだことはないそうです。
超多忙な方だったんですね。
靴を履こうとしたら、なんか手水の造りに違和感が…
うちの飼い猫よりも大きくて、怖いんですけど!←大袈裟な…(-_-;)
アイタタタ
(ネズミも食べてしまうんじゃないか?って疑うぐらいの大きな鯉がいました…住みやすいんでしょうね☆)