明日は鏡開きだから☆と、“昨夜”お餅とさつまいもを入れたおしるこを作ったRieruです★
…鏡開きは明日ですよね?
今日は110番の日!
あ…
した用ですよ、明日用!
2kg作りましたから、2kg!
(;^∀^)…誰がそんなに食べるの?
↑
半分以上はアナタでしょ。
イテテ
(作り過ぎるから食べ過ぎるんだよ!)
そんな朝からおしるこ!仕事から帰宅しておしるこ!夕飯後におしるこ!と、おしるこ三昧な女は、先日防府市へ行った際に気になっていた場所へ足を運びました。
防府市教育委員会から出されている本、『防府歴史・文化財読本』のP154に、『なまずの化身』という昔話が載っており、興味をそそられたのでした。
桑山の西側にある山は『井上山』と呼ばれ、藩士であった井上氏がこの辺一帯の土地を領していたことからだそうです。
あの山が井上山の一部?
ダブがありますが、このダブも『井上ダブ』という名前が付いているようです。
あ、なまずの像がありました!
斜め後ろから見たなまずの像。
『なまずの上には上がらないで下さい。』
…いたんですね。上がって遊んでいた子どもか、輩が(;´д`)
像の正面?から見た『和尚なまず』の像。
“和尚”なまず?
説明板がありました。
伝説 和 尚 鯰
昔このあたりに清水沼とよばれる大きな沼がありました。
ある年の夏、珍しく日照りがつづき、近くの百姓たちは沼の水をかえ出して田に引くことにしました。
ところが鯉や鮒、どじょうがとれだし、みんなは大喜びで魚とりに夢中になってしまいました。
昼ごはんを食べていると、ひとりの旅の僧が通りかかったので、信心深い百姓たちは小豆飯をご馳走しました。
旅の僧はおいしそうに食べたあと、「大きな沼には必ず主が住んでいます。主をとると祟りがあるとか…。くれぐれも気をつけなされますように…。」と言って立ち去りました。
底近くまで水をくみ出した時、六尺(約2m)ほどの大鯰がつかまりました。あれこれと意見が分かれましたが、ついに料理することになり、腹を切開くとふしぎにも先ほどの小豆飯が出てました。 はっと気づいた百姓たちは「さっきの坊さまは沼の主が姿をかえ、命乞いにきんさったのじゃ…」「大ごとじゃ…」と大騒ぎになりました。いろいろ考えた末に近くの天徳寺の和尚様に相談し、丁重に供養し、境内に墓をたてました。
そのおかげか百姓たちには、祟りや不幸はなかったということですが、これには「鯰の化身」という少々違った話も伝えられています。
「周防長門の伝説」(松岡利夫 著)
「続防府市史」(防府市教育委員会)
平成四年三月
え?
『鯰の化身』の話は『和尚なまず』とは違う?
なまずの化身
井上山のふもとに流れている小川の一部に沼がありました。
ある日、沼の水をぬいて魚を捕ろうと準備していたところ、1人の旅の僧がやってきて、
「この沼には一匹の大きな鯰が住み着いている。それはこの沼の主であるから逃がしてやるがよかろう。」
と繰り返して言いました。
人々が用意していた赤飯を僧にふるまったところ、僧は美味しそうに赤飯を食べ、立ち去りました。そのうち沼の水も引き、鮒などたくさんとれた魚の中に一匹の巨大な鯰がいました。早速料理にとりかかり、腹をさいてみると、中から赤飯が出てきたので驚きました。さては鯰の助命を頼みにきた僧は鯰の化身であったのか、と後悔しましたが今さら取り返しがつきません。せめて罪ほろぼしに鯰の霊を鎮めようと、井上山のふもとにあった天徳寺境内に1間四方の小さな堂を建立し、薬師如来を安置しました。毎日のように礼拝をしましたが、その霊を鎮めることはできませんでした。それ以来、井上氏は領していた土地や山林を藩に返上し、だんだん落ちぶれていったと伝えられています。
旅の僧が鯰だった、という話は同じですが、前後の話が違いますね。
鯰化身の話が掲載されている本の発行は平成28年8月…クドいけど案内板は平成4年3月…同じ教育委員会から発信されたものの、統一はされなかったのでしょうか。
ちなみに本には「なまずの化身」のページに、「和尚なまず」の像の写真も一緒に掲載されていました。
そこそこ車の往来がある道沿いにあるので、赤飯とか食べてると塵等が入りそうですけど?
アイタタタ
(花見酒だけにしときましょ♪←(-_-;)車でないと行けないので、おしるこでも飲んで(食べて)なさい!)