『古地図を片手にまちを歩こう』では、古地図が印刷されたリーフレットがいただけますが、その表紙のデザインが気になるRieruです★
ガイドさんに尋ねるタイミングが無く、分からずじまいのものもありますが、今回参加した『徳山(周南市)』コースでは・・・
え?跳んでるウサギさん?&そしてお約束の月?なんでなんで?
「月に変わってお仕置きよ!」
って、セーラームーンならウサギさんじゃなくてネコさんのシルエットの方が、しっくりくるでしょ・・・
イテテ
ガイドさん♀に尋ねたら、何かの何かに描かれているそうです←メモしてないので暗記出来ず・・・
ご縁があったら、またこのウサギさんとは巡り逢うことがあるかも?
そんな“徳山”を知り尽くした美しいガイドさんは、この地下1階地上9階のマンションを『“憧れの”モウリマンション』と呼んでいました。
昭和51(1976)年に建てられた当時は中学生くらいだった?ガイドさんの目には、それはそれは素敵なマンションに映ったようです。
そうだったんですね。
住所が“毛利町”というトコもツボですよね!
そんな憧れのモウリマンションの敷地の端に、『益田親施幽閉賜剣の地』の碑があります。
例の切腹した三家老のうちのおひとりが、益田親施(ちかのぶ)サンです。
毛利親敬サンから“親”の字をいただいてます☆
例の禁門の変の後は阿武郡須佐に帰っていましたが、結局責任を問われ徳山に連れて来られて切腹・・・
3人目の福原元タケ(越後)サンは岩国で切腹されています。
じつは元々、越後サンは徳山藩毛利家の六男でしたので、隠居中の父や徳山藩主になった元蕃(もとみつ)さんは弟(七男ですが兄らが亡くなり越後サンは養子に出たため)・・・ちょっと徳山で切腹は酷だったからでしょうか。
ちなみに長州藩11代藩主 毛利斉元サンの“元”をいただいています。
それから『北の関門礎石』を見に行きましたが、分かりにくい場所に置かれていました。
現在は周南市文化会館などが建っています。
敷地内には、どでかい石が!
いつ見てもため息のでる石ですが、大阪城築城の際、城壁の石垣に使った残石を、わざわざここに設置したそうです。
石切場は徳山湾に浮かぶ大津島などの島で、切り出したのち船で大阪まで運んだんですね〜。