じつは日曜日の朝に『睡蓮鉢』を割り、左手のひらをザックリ2.5cmほど切ったRieruです★
ちょっと傷が深かったのか、血が流れる流れる!
日曜日だから救急か〜と思うと、めんどくさかったので傷口を洗い、ティッシュを軽く握ったまま夕方まで放置☆
一応消毒しとこうか(←遅すぎる)と消毒用液(オキシドール)をかけてみました。
意外と染みないんだ〜・・・そういえば消毒用液って使用期限とかあるの?
・・・“ 2017 1 ”って消毒液のボトルに印字されてる。
イテテ
(今のところ傷口は半分カサブタに覆われています・・・幸い利き手では無かったので、なんとかなっていますm(_ _)m)
今月『古地図を片手にまちを歩こう』で、小郡のまちを歩いた時じゃなくて良かったですよ〜。
たいてい左手でリーフレットを持ち、右手でスマホ撮影しているので。
距離と時間の関係で、リーフレットの内容通りに回ることは出来ませんでした。
北の方に『柳井田関門・砲台場跡』があり、その近くに『中領八幡宮』という八幡宮を見つけた時にちょっと気になりました。
じゃあ、麺ランチ後にでもひとりで訪ねてみよう!
・・・そんな私を嘲笑うかのように、美味い麺を待っている最中に雨が降り始めました。
イテテ
こういう時は『 今日は“ その日 ”じゃないの!いつか必ず訪ねる機会があるから!』と、ポジティブに捉えましょう♪
“ その日 ”の時のために予習しとくかな?と検索、検索☆・・・すると某ブロガーさんが中領八幡宮のことを書かれた、6年以上前の記事を発見!
ご本人にお願いして、リブログさせていただきましたm(_ _)mありがとうございます
タイトルは『中領八幡宮のある小郡の柳井田(やないだ)には幕末に砦が築かれていた!』とあり、八幡宮は柳井田という場所にあることが分かります。
そして幕末に砦が築かれたらしい・・・←まんま書いてる!
イテテ
幕末の砦といえば四境戦争で?と想像したのですが、どうでしょうか?
関門と砲台場が長州征討の前年に設けられたようなので、そうなんでしょうね☆
しかし四境戦争では特に使われることはなく、明治3(1870)年の脱藩事件で、常備軍と脱藩兵との間で激戦が行われたらしいです。
・・・なんかメモしてない割に、いろいろ書いてますよね?
ガイドさんから、“ 虎の巻 ”を買わせていただきました!
イテテ
な〜んだ、小郡のコトが詳しく書かれているじゃないですか♪
じゃあ、これさえ読めば・・・いえいえ、やはり自分の足で訪ねてこそ!ですよ。
いつの日か中領八幡宮付近を散策してみたいですm(_ _)m
小郡からの帰り道、鋳銭司(すぜんじ)に寄っておやつをモグモグ。
・・・木戸サン濃いい〜!今夜、夢に出そう☆
アイタタタ
(そして背景に『児玉源太郎』さんを持ってクルところがキモい女☆)