下関市『下関市立歴史博物館』で長府を学ブッチャー! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




先月、下関市長府で行われた『古地図を片手にまちを歩こう』に参加した際に“建物だけ”見た『下関市立歴史博物館』を訪ねたRieruです★

功山寺の斜め前にあるので迷わず行けましたが、駐車場の存在を見落として別のコインパーキングに駐車しました汗
まぁ、近所を散策するからいいか←普段歩かないからしっかり歩くべし!


ワォ!キレイな博物館ですねこ


平成28(2016)年11月18日にリニューアルオープンしたそうで、館内もピカピカキラキラ3
そのピカピカの館内にピカピカの銅像が。


長府で活躍した人たちの・・・群像?
高さ1.8m、幅約2mの作品が、『光庭』と呼ばれる場所に展示されています。
作品は彫刻家の田村務さんを調べてみると、同市にある『青春交響の塔』で見た龍馬サンと晋作サンのレリーフの部分を製作された方だそうです。建造物とレリーフの部分は別々の作者さんだったんですね。すっかり見落としていました。

床に設置されたプレートに題名が書かれてあり、揮毫はあの古川薫さんということを教えてくれます。


時代を拓く

ときをひらく・・・
時代を駆け抜け、そしてその扉を開けた勇気ある志士は、ご丁寧な説明板に書かれていました。


右から、京都の寺田屋で坂本龍馬の窮地を救った長府藩士三吉慎蔵・龍馬の妻お龍坂本龍馬・報国隊幹部の梶山鼎介・龍馬とお龍を受け入れた伊藤家本陣の伊藤九三・長府集童場を創設した熊野直介等の長府の志士らを彫刻に模しておられました。

彫刻を観てテンションが上がったところで、常設展示へ。


こちらは数点の展示品を除いて撮影OKです☆ということを学芸員さんにが親切に教えてくださいました。(わざわざ「これとこれとこれは撮影禁止です」というふうに…お手間を取らせました)

展示物をじっくり観る前に、そもそも長府藩士とはどのくらいの領地を所有していたのかというトコから学べます。


現在の下関市の形に当てはめてみると、他に『萩藩領』や同じ萩藩領の『阿川毛利領』・『吉敷毛利領』があり、『清末(きよすえ)藩』もあったりします。

き、清末藩?

藩の支藩であり、長藩の孫藩に当たるそうです。
長州(萩)藩が絶えないように支えていたんですね〜。
しかしここに、興味深い展示がありました。


備中生まれの三島中洲(みしまちょうしゅう)サンが書いた西国探索録に、それぞれの萩藩との関係が・・・
岩国の吉川家(当時は藩ではなかった)とは昔より訳柄不和なる・・・でしたよねー。
徳山藩は萩藩を信仰・・・本当にねー。
清末藩は長府藩の分家なれども萩藩を本家と唱え尊信・・・なるほどー。


長府藩は萩藩との間に不和の風あり・・・えー!そうなんですかー!
何が原因か、気になります。


下関の歴史はもちろん江戸時代だけではありません。
全国的に有名なのは、源平合戦の壇ノ浦の戦いではないでしょうか?


その場面のジオラマがあったのですが、不謹慎にもニヤッとしてしまいました。



5頭のスナメリちゃんがいるー!


戦の最中、スナメリちゃんたちがナゼ・・・めちゃくちゃ違和感がありましたが、作者さんのこだわりに、ついニヤッとしてしまったのでした。
悲しい出来事をスナメリちゃんたちを登場させることによって、優しく伝えたかったのですかね。
赤間神宮所蔵の『紙本金地着色安徳天皇絵』をもとに製作されたそうですよ。
どれどれ、どんな絵・・・

おったー!


イルカっぽいけど、ちゃんと5頭ー!


アイタタタ


(壇ノ浦の戦いを見物に来ていたのだろうか・・・)