【08】古地図を片手に徳山(周南市)を歩こう!『前編』 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



08    徳山
         古地図で巡る城下町徳山
         毛利輝元の次男、就隆を初代藩主とする徳山藩。幕末動乱期には萩藩の三人の家老の幽閉を引き受けました。徳山の町は戦後新しく生まれ変わりましたが、その道筋は藩政時代の面影を残しています。古地図を片手に幕末期の徳山の町を巡ります。

         期間    2018年4月〜6月及び10月〜11月の第1•3土曜、9月の第3土曜、12月の第1土曜(2日前までに要予約)

         料金    300円(資料代、保険料)

         集合場所    JR徳山駅みゆき口

         開始時間    9時

         コース    みゆき口児玉神社徳山藩後家中屋敷絵図旧藩学館跡江村彦之進•本庄清生誕地国司信濃幽閉賜剣の地徳山毛利家墓所浅見安之丞•児玉次郎彦生誕地益田親施幽閉賜剣の地鳴鳳館跡北の関門礎石武方•作事方跡徳山藩藩邸跡児玉源太郎生家跡〈約5km/約3時間30分〉

         問い合わせ・申し込み先
         周南市観光ボランティアガイドの会
         (周南観光コンベンション協会 まちのポート)     0834-22-8691


・・・に参加したRieruです★


定員20名なので、2班に分かれてるのですが、美人なガイドさんでラッキーハート←コラむか
そんな不謹慎な女(私)は、集合場所に早く着いてしまったので、それらしき人が現れるまで蔦屋書店さんで過ごしました。
本当に便利が良いですね♪

申し込み時、『みゆき口』がわからなくて聞いてしまいました。

     
この辺りが、そうらしいです←めちゃアバウト汗

そして気になっていた、“徳山のスタンプは何処に押すんだろう ”問題は、このような方法で解決しました。

ポンッ★


枠外捺印〜バレエキラキラ3

なるほど!

追加されたからといって台紙まで作りかえたら大変ですもんね。

出発前に、トイレを済ませたい方いらっしゃいませんか〜?と声かけをされていたので、約3時間30分の間、いつ催すかわからないからので別のガイドさん♀にトイレまで案内していただきました。

・・・ここ?


まちのポート・・・申し込み先の!
駅近に、こんな場所があったとは。少しですが、お土産も販売されていて楽しめます。
こんなトコがあるなんて知りませんでした。

さぁ、海側から山側に児玉神社に向かって出発です!

ほどほどに歩いた先には『児玉公園』があり、児玉源太郎サンの銅像が出迎えてくれます。


源太郎サンの後ろは昔『桜馬場』があった場所で、名前の通り桜並木の美しい馬場があったそうで・・・目を閉じると馬の蹄が聞こえてきそうですね←お約束のセリフ☆
長州藩の中でも立派な馬場で、『徳山藩の過ぎたるモノ3つ』のうちの1つと言われたそうです。

あっ、軍帽のてっぺんに五芒星が!


魔除け?


イテテ


お若い時はジャニーズに居そうなイケメンでしたが、年齢を重ねるごとに渋くなっています。

   ※某俳優さんに似てる・・・

こんな陸軍大将、後にも先にもいない!

いや、先にいたら困るし・・・


イテテ


(ごもっとも!)


古地図歩きから随分脱線したので戻ります汗

墓所は東京都の多磨霊園と、周南市の児玉神社になります。


源太郎サンにご興味がある方は、検索すればいろいろとエピソードが出てくるので多くは書きませんが、私は単純に源太郎サンの性格が好きです。
あと地位や権力に固執しなかったトコも好印象ですかね。
思春期(13歳)の頃に、義兄(姉婿)である児玉次郎彦が俗論党(保守派)たちに自宅の前(玄関先)で刺し殺されるのを目撃したことや、その義兄が亡くなったことでお家断絶になった後、極貧&軽いいじめ?にも遭い、やっと明治元年に献功隊(青森へ→箱館(明治2年頃から“函館”)付近の戦闘に参加)→その後いろいろあり(またの機会にm(_ _)m)・・・
義兄の次郎彦サンらとともに殺害された七人を『徳山七士』と呼び、現在でも石碑『勤王七士碑』が残っています。

※この方たち

発端は、俗論党の中心人物を暗殺しようとしたけど失敗、その報復?で悲劇が起きたようです。

石碑は児玉神社の境内に・・・


その後、従四位を与えられたばかりではなく、明治天皇によって例外的に靖国神社にも合祀されているそうです。

今回、リーフレットではなく、ボランティアガイドさんらが作成された?古地図を見ながら歩きました。
現在の地図が透明なシートに印刷されており、古地図の上に乗せられています。
その透明シートをめくると、古地図が。


武家がびっしり!


その中の空間が気になります。


ここはそれぞれの区画の共有地らしく・・・子どもたちの遊び場だったりしたんでしょうかね?

こういうスタイル、良いですね〜。



児玉サン家はココ。




・・・のお隣サン家が例の中心人物のお屋敷〜って、もしかしてご近所トラブルだったとか?

全然違います!


アイタタタ


(その後 源太郎サンが頑張って、現在児玉神社が建っている辺りを購入して児玉家を再建したそうです)