昨年の秋頃、ローカルニュース番組で『 萩駅に井上勝の銅像が建った! 』という情報を知ったRieruです★
じつは私、井上勝サンのことってよく知らないんですよね〜・・・
『 長州ファイブ 』という映画の登場人物 ( 実在の人物です) で、幕末にイギリス留学 ( 共に井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・伊藤博文も ) して、後に『 鉄道の父 』と呼ばれた方・・・というくらいしか。
なので、萩駅の銅像だけを撮影しに1日目 ( 藍場川へ行く前 ) 行ってきました!
えっ?
ニュースを観てたのに、想像してたより台座が高くて立派で驚き!
その高さ、約3m!
銅像だけだと、1,8m!
しかもなんかこのポーズ、カッコイイんですけど!
「 どうよ!」
ってセリフ付けたいくらい!
このポーズは実際にイギリス留学中に撮影された写真をモチーフにして、日展会員の江里敏明さん ( 東京在住 ) が制作されたそうです。
昨年の10月14日の『 鉄道の日 』に行われた除幕式には、ひ孫さんにあたる井上勝重さんもご出席されたとか。
逆光だけど、カッコイイ・・・
マサルさんと呼ばせてください♪
勝サンにすると、『 勝海舟 』さんに間違えそうなので。
イテテ
( 読みが違う、読みが!)
私も今度写真を撮ってもらう時は、こんなポーズにしよ〜♪って思うくらい、後ろ姿もカッコ良すぎます!
ちょっとモチーフになった写真に興味が湧き、検索して拝見したら〜・・・銅像は少し〜・・・ほんの少し〜手足を伸ばされ・・・
イテテ
( それ以上書くのは控えて!)
さぁ、銅像を十分堪能したので車に・・・
ん?
なんか萩駅って、レトロな感じ〜。
銅像だけ観るつもりが、吸い込まれるように駅舎に足が
その駅舎に入る前に、右側の電話ボックスが気になる私。
中を開けてみると、黄緑色したプッシュ式の電話と、昔懐かし木製の ( 使えない ) 電話が
中にあった看板には、日本で初めての電話ボックスは、明治33 ( 1900 ) 年 東京京橋のたもとに建ったものであったことと、それは六角柱で白塗りのものであったこと、『 エビ茶の袴、三つ編み長髪、長靴下 』などの格好をした女学生が電話をかけていようものなら、たちまち人だかり☆・・・などと書かれていました。
この電話ボックスの横に不似合いな、かなり古そうな花壇の石を見つけました。
他にも周りには気になるものが、たくさん!
さぁ、駅舎 ( 旧萩駅舎 ) の中に・・・
ここは『 萩市自然と歴史の展示館 』という、無料の展示館になっているみたいです。
入って右側の部屋を見ると・・・おおっ!
思っていたより、広くて明るい
この駅舎は大正14 ( 1925 ) 年に、美祢線延長の長門三隅・萩間開通に伴って開業したそうです。
完成前の駅舎や、昭和32 ( 1957 ) 年に公開された映画『 集金旅行 』( 萩市民が多数エキストラで出演したそうです ) の時の貴重な写真パネルなどが展示されていました。
いろはす、150円・・・
売上げ金の一部は、萩市観光支援振興の支援金になるそうです。
これからの季節、売上げが伸びそうですね。
駅舎の左側には『 第二展示室 』の札が掛けられて、主にマサルさんの展示が多い部屋になっています。
ここは2等 ( 現在のグリーン席 ) 待合室で、先ほどの広い部屋は一般待合室?
あの時代は、あからさまに区別していたんですね
この展示室にある、マサルさんのことが書かれているパネルには・・・
・天保14 ( 1843 ) 年 萩藩士 井上勝行の3男として出生。
・文久3 ( 1863 ) 年 伊藤博文ら5人と共に上海に渡航。翌年にはロンドン遊学し、鉱山学及び、鉄道の実業を研究して明治元年に帰国。
・明治4 ( 1872 ) 年 鉱山頭兼鉄道頭となり、以後、鉄道局長 → 工部大輔 → 鉄道庁長官、などを歴任。
・新橋〜横浜間、神戸〜大津間 ( 京都〜大津間の敷設には日本人だけで工事を完成 )、東海道線の建設工事の陣頭に立って、指揮監督。
・明治43 ( 1910 ) 年、鉄道院顧問に。
・欧州鉄道視察中にロンドンで客死。
・享年68歳。
日本初の鉄道を・・・それがマサルさんが『 鉄道の父 』と呼ばれる所以なんですね。
数々の興味深い展示品の中で、『 回転式乗車券箱 』というのがありました。
どっち?
そんなアホなこと言ってると、トライワイトエキスプレス瑞風の山陰コース ( 下り ) に乗せてもらえないぞ!
・・・トワイライトね。
これじゃあ、一生乗れませんよ!
アイタタタ
( 山陰コース下りの停車駅は大阪駅・京都駅ー城崎温泉駅ー東萩駅ー下関駅・・・え?萩駅じゃなくて東萩駅!← どちらの駅も城下町外 ( 川外 ) にあるのですが、の東萩駅の方がより城下町に近いのでありますよ)