藍場川の可愛い鯉たち。 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




萩市で可愛い生き物を探すと・・・菊ヶ浜で見たウミネコくらいでしょうか?
鵜や鷺もいたかも。
調べてみると藍場川という場所に鯉が離されているというので、癒されに行ってみたRieruです★


いたいた!

藍場川はこの辺りらしいです。


思っていたより狭い川でした。

駐車場はあるのですが ( しかもトイレ有り ) 、そこに辿り着くまでの道の狭いこと、狭いこと!
休日は観光客やレンタル自転車が多いので ( GW中だったから特別?) 、スロー走行でお願いします。


近くには『 桂太郎旧宅 』や『 旧湯川家屋敷 』があり、どちらも入館料100円で見学出来ます。

                   ※桂太郎旧宅

              ※旧湯川家屋敷


地図で確認すると、橋本川や阿武川がすぐそこに!


家屋の手前に美しい川が きらきら


いつも綺麗な水が流れているんですね。


鯉も気持ち良さそうです♪

いつ頃からこんな川が引かれたのでしょうか?

これまた調べてみると・・・
18世紀半ば、6代藩主の毛利宗広サンが、岡山城下に立ち寄った際に、瀬戸内海に注ぐ吉井川から城下へ倉安川という大きな溝を掘って水を引き入れて、経済への+だけではなく、生活に活用出来るという利点から真似したそうです。
延享元 ( 1744 ) 年に、農業用水路程度の川だったものを深く広げ、2,6kmにも渡る川が完成しました。
明和年間 ( 1764〜71 ) には藩営の藍玉座 ( 藍色の染料となる藍玉を製造した場所・・・藍玉とは蓼藍を搗き固めた物 ) が設営されて、そのせいで川が藍色に染まったそうです。
それが名前の由来になったのだとか。
もちろん、この頃は藍場川には鯉はいませんでした。

江戸中期は木綿の生産量が増えて、綿製品が庶民に普及したことにより、染料の藍の需要が増えたということから、阿波 ( 徳島県 ) 産の上質な藍以外を輸入禁止にしたそうです。
自由に製造や取引が出来ない・・・専売制になってしまったのですが、19世紀に起きた “ 長州藩天保の一揆 ” で改善が要求されて廃止されるまで続きました汗

この藍玉座は、幕末には稼働を終えていたそうですが、それまでは川島・椿東・椿西地区を初めとして、阿武川上流地域で蓼藍を広く栽培していたそうです。

現在観光地になっている “ 藍場川 ” の場所は、川幅は狭く浅いので舟は・・・?
広い場所では物資の運搬などで、バンバン通っていたみたいですよ。

私たちが散策した辺りは、川島という場所らしいです。
狭いのはこの辺だけ?
いつか別の場所の “ 藍場川 ” を散策してみたいです。
鯉はいないだろうけど。


イテテ



静かな藍場川で、静かに鯉たちに餌をあげてみよう♪


近くに木箱のようなものがあり、開けると白い袋があります。
ひと袋50円で販売されているので、備え付けの缶にお金を入れましょう。
餌はお麩でした。

( 鳩ぽっぽ〜♪のメロディで替歌を作りました )

スイスイスイ〜、鯉スイスイ〜
お麩が欲しいか、 そらやるぞ〜
みんなで一緒に食べに来い

スイスイスイ〜、鯉スイスイ〜
お麩はうまいか、食べたなら〜
みんなで仲良く泳ごうよ〜  

・・・・・・
 
イテテ

( 正式な題名は『 鳩 』だそうです 鳩 )


そら、

ポーン・・・


パク☆

食べてる姿も可愛い ハート
すっかり癒されました。


ん?


あれは何でしょうか?

ここも・・・


なんか、川の水を屋敷の中に引いてるっぽい?

なんでも川沿いの家は、板囲いをして家の中の洗い場にしていたそうです。
その他、家の庭の池に川水を引き入れたり・・・

わぁ、見たい!
この目で見たい!
100円払って、お屋敷の中を見学させてもらいましょうよ〜♪

「 それ、予定に無いでしょ?この後『 カフェ•ティカル 』さんに行ってその後はもう帰らないと!」


アイタタタ


( 椎さんは予定通りに進まないと・・・特に時間配分・・・鬼になります汗おかげで門限の18時までに帰宅出来ましたが☆ )