GWに行ってきた萩市・・・トータル3日間なので、まとまらず
まとまらなくても取り敢えずランダムな順番で書くことにしたRieruです★
ランダム記事はオハコですね。
イテテ
特に人形たちに名前は付いていなかったので、独断と偏見で勝手に名前を付けました。
この本を読んでいる人形は、伊藤博文サンにしよう。
・・・違う人だったらどうする?
イテテ
もちろん机のあるトコにいるのが松陰先生ですよね。
高杉晋作サンや久坂玄瑞サン、有朋チャンはドコ?
説明板には『 松下村塾講義室復元 』とあり、当時の様子が生々しく音声付きで再現されていました。
・・・人形が綺麗すぎるよね。
イテテ
( 皆さんきっと綺麗好きな方ばかりだったんですよ!← ニキビ跡くらいあっただろうに )
そんな、いろんな想像力を働かせてくれるツボ!な道の駅の名は・・・『 萩往還 』です!← 今頃行ったの?クスッ☆と、笑わないでやってください
その中にある『 松陰記念館 』は、無料で松陰先生のことが学べてお得です。
他に『物産館』や農作物直売所の『菜々色マルシェ』、ダイニング『玄』に、うどん屋の『橙々亭』があり、ピーク時は多くのお客さんで賑わっているようです。
駐車場も64台とありましたが、ピーク時には全然足りない感じでした。
運良く1台分だけ空いていてすんなり駐車出来た私たちは、この『 松陰記念館 』に初めて来て、すっかりハマってしまったワケです。松陰先生が歩いたという行程が日本地図に詳しく表されているのを見て、
「 えっ?萩からこんな場所まで歩いて行ったの?」
と驚きの連続でした。
( 満29歳だから ) 29年間で12,500kmも・・・万歩計もビックリ!
そういえば松陰先生の座像って、山口県内の小中学校の校長室で ( いまのところ ) 必ず見かけます。
座像を見つけると
「 あ、やっぱり置いてあるんだ♪ 」
と、ニヤニヤしてしまいます。
誰がどういう経緯で設置した ( 贈った?) のかは分かりませんが、かなりツボです。
今回この展示で初めて知ったのですが、この座像のモデルは疋田雪州 ( ひきたせっしゅう ) 作の、原寸大の木彫像だそうです。
松陰先生の面影が最もよく似ているそうで、それを模刻彫像したものなのだそうです。
松陰先生の門弟だった品川弥二郎サンが維新における尊攘の功ある人々を顕彰するために京都に建てた、その名も『 尊攘堂 ( そんじょうどう )』( 国の有形登録文化財 ) に木彫像も収められていました。
なんで京都に?って感じですが、松陰先生は生前、京都に学校を建てようと考えておられたとか。
本当に?って感じですが、松陰先生なら考えそうですよね。
現在その木彫像は京都大学附属図書館の『 維新特別資料 』として地下室に移管され、大切に保管されているそうです。
他に数々の遺墨類は千数点もあるそうですが、長州出身の志士たちのものがたくさんあり、『 維新資料データベース 』で検索したら『 奇兵隊日記 』を見つけて興味本位で開いてみたら、ほとんど読めませんでした
たった? 150年前のものなのにロクに読めないなんてガックシ・・・
まぁ、乱筆だったしぃ〜素人が読むのはムリぃ〜と自分で自分を慰めときました。
気分を変えて・・・さらに後に木彫像のことを調べたら、松陰先生の木彫像だけではなく、弥二郎サンの木彫像も疋田サンによって造られていることが分かりました。
もちろん同じ場所に保管されています。
羨ましいぞ、京都大学!
イテテ
( 弥二郎サンが『 松陰先生のと自分のを作って〜 』と依頼されたようです )
そんな現在、京都大学吉田キャンパスの構内にある『 尊攘堂 』は、元々明治20 ( 1887 ) 年に高倉通錦小路に建てられたそうですが、弥二郎サン死去後に京都在住の有志らが京都帝国大学に寄贈 → 明治36 (1903 ) 年に京都大学吉田キャンパスに新築寄贈 → 現在は京都大学埋蔵文化財研究センターの資料室として、同大学構内における埋蔵文化財調査成果の保存•展示目的に使われているそうです。
明治・・・明治といえば明治14 ( 1881 )年に、明治法律学校として創立された明治大学!の熊沢教授!
かつて教授の父 故 善三郎さんが独学で松陰先生のことを研究していた折に購入された『 吉田松陰自賛肖像 』( 中谷本 )を昨年、山口県立山口博物館に寄贈されたそうで!
※ 松陰記念館にはレプリカが☆
松陰先生の門下生に松浦松洞という絵師がいて、久坂玄瑞サンの発議により松陰先生の肖像画を七幅 ( 幅は掛け軸等の数え方 ) 描かれたのですが、最初に保持した家に因んでそれぞれに名前が付いています。
その中の一幅・・・いっぷくが中谷 ( 家 ) 本になります。
『 中谷家本 』・『 吉田家本 ( 山口県有形文化財 ) 』・『 杉家本 』( 萩市の松陰神社所蔵 )・『 品川家本 』( 京都大学附属図書館所蔵 )・『 久坂家本 』( 東京都の松陰神社所蔵 )・『 岡部家本』( 周南市美術博物館所蔵 ) ・『 福川家本 ( 萩市明倫館小学校所蔵 ) ・・・は賛のみ ( 賛・・・鑑賞文•賛辞 )』とあり、それぞれの地で所蔵されていますが、熊沢教授と善三郎さんのおかげで中谷本と吉田本が山口博物館に揃ったというわけです。
5月21日(日)まで開催されている『 吉田松陰肖像画の絵師 』テーマ展には、この二幅の肖像画の他四幅もパネルで並び、六幅がズラリと展示されているようです
鑑賞してないので、実際に並んでなかったらすみません。
あと一、二幅ほど存在するらしいですが所在が分からず・・・激動の時代の中で焼失したのでは?と想像してしまいますが、どこかの蔵で保管されてて欲しいと思います。
あっ!
こんなところにレプリカの坂本龍馬サンが!
※ちゃんとしたレプリカはAmazonで15,800円で購入出来ます
なぜ萩に?
文久2 ( 1862 ) 年1月14日から数日間滞在してたそうです。
久坂玄瑞サン宛の、武市半平太サンの書簡を携えて。
久坂玄瑞サンに(ちょうど薩摩藩士 田上藤七も)会い、『 草莽志士 』決起に触発されて土佐を脱藩 ( 3月24日 ) するきっかけになった・・・と書かれていました。
左側に書いてある『 わしも萩に来たことあるぜよ!』がどうにもツボで、思わず声に出して読んだら椎さんがいない。
しかも
「 わしも萩に来たことあるぜよ!だって!にゃはは・・・は?」
ですよ。
イテテ
思い切り独り言になってしまって、周囲の冷たい視線に耐えられず、屋外へ椎さんを探しに出ました。
・・・・・・
いた!
ら、彼女の手には2つの美味しそうなものが
「 朝早かったから、お腹が空いちゃってね」
一緒に食べようよ、と渡されたコロッケは見蘭牛 ( けんらんぎゅう ) のミンチが入ったコロッケでした♪
ありがとうございます、いただきます!
あ〜、松陰先生!
3日間で県産牛は1度もだけ食べましたが、見蘭牛はここのコロッケだけでした!
アイタタタ
( 県産牛も美味しかったですよ )