『柳井』の名前の由来は? | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。











柳井、柳井…

柳井の地名がどこから来たのか

由来を知りたくなったRieruです★


                  (周防大橋から見た下関方面)


どうやら柳井と周防大島の間にある海峡
       おおばたけ
『大畠の瀬戸』にヒントがあるようです。

古来より
                                                 なると
徳島の阿波の鳴門が『龍宮の東門』、



大畠の鳴門が『龍宮の西門』と

呼ばれてきました。





海深いところには『金の龍神』が

棲んでいます。

……

ええっ?

Σ(O_O;)!




今から1400年も前のことです。
ぶん ご                                                                      まののちょうじゃ
豊後の国(国府は大分)の満野長者夫婦に

都にまで美しさが知れわたるほどの

娘がいました。





姫の舌には三日月のアザ(ホクロとも)が

あることから

月の精が宿っていると言われ、
はんにょ                                                                                      はんにゃ
半如姫と名付けられ、後には般若姫と

呼ばれるようになりました。


唐にまで

姫の美しさが評判になるくらいだから

相当な数、求婚されましたよ!

イテテ


(いや、自分じゃないから (;A´▽`A)!)





ちょうどその頃、

天皇家では跡継ぎ争いが勃発☆

いつ暗殺されてもおかしくない状況の中、

都から来ちゃった!
きんめい                                                         わかみやたちばなのとよひおうじ
欽明天皇の第4皇子、若宮橘豊日皇子が!

(後の用命天皇=聖徳太子の父)

…しかも求婚を断られるんじゃないかと

身分まで内緒にして!

(宇佐八幡宮へ皇位を預ける)

で、アッサリ長者夫婦に断られる…

イテテ



           

姫、相当どストライクだったのでしょう。
                                                       さんろ
諦められない皇子は『牛飼い』山路として

長者の館に奉公し、チャンスを待ちます。

…ストーカー (-""-;)?

イテテ


プロ並の笛を吹き、

牛さんも大人しくさせることから

長者夫婦のウケも良かったみたいです。


                                  わすら
ある日、姫が大病を患います。

長者はありとあらゆる手を尽くしますが、

良くなりませんでしたので

山王権現へ参拝しました。

山王が侍女の口を借りて告げます。

「この病気は普通の病気ではない。
              やぶさめ
   しかし流鏑馬を修め、

    姫の病気を治した者を婿にしなさい。」


………

えっ?

山路、侍女に言わせた?

イテテ


(コラコラ (;゜゜)★)





腕に自信があるものが

多数トライしましたが

これがなかなか難しく…

最後に山路がトライ★





なんせ、皇子!


ズバッ!←矢が的に命中した音。

…カッチョイイ~(*`艸´)ハート



晴れて結婚♪





長者夫婦は二人の為に新御殿を建て、

これまでの皇子に対する無礼を詫びます。

イテテ


(だって、知らなかったんだもん (`ロ´;)!)




甘い生活を送っていましたが、

欽明天皇が家来に探し出させ…って、

父にも言わずに豊後まで来てたんですね。

そりゃあ、

評判の美人がいたら見てみたいですよね。

いつ兄に暗殺されるかわからなかったし!


「ええ女がおるけえ、行ってくる!」
                                ↑
            …もっと丁寧に(;^_^A
なんて

父…しかも天皇に言えやしない。

イテテ



情熱的な男、

橘豊日皇子もいづれ天皇になる身。

さぁ、都へ帰りましょ。

(兄天皇が崩御したし)

もちろん、姫を后にする気満々です★

でも姫は身重でしたので、

皇子は先に帰りました。





「生まれてきた子が男なら

  皇子として跡を継がせるから

  一緒に都に連れて来て♪

  女なら長者の跡を継がせることにして、

  姫だけわしのところにおいで★」



…玉絵姫を出産!

その後、両親に預け120艘の船団で
うすき
臼杵の港から船出をしました。





海上が荒れていたので、

数ヵ所立ち寄りました。





そのひとつに姫島(大分)があり、

舞を舞って平穏無事を祈りました。
               みんていおう
姫は明亭王(長安の皇帝)から贈られた

うばやなぎ       ようじ
姥柳の楊枝をこの地に挿され

朝になると新芽が出たと言われています。





マジック?

イテテ




姫島を出港してからまた嵐が…

時期が悪かったのでしょうか?

一向は

大畠の鳴門の手前に吹き付けられました。



たくさんの船が沈み、また多くの家来を

失った姫は大変嘆きました。





姫の一向は上陸し、

縁あって とある井戸の清水を

飲むことが出来ました。





お礼にと、例の楊枝を井戸の横に挿すと

なんと翌朝!

大きな柳の木になったではありませんか!



イリュージョン???


イテテ


( しかも姫島よりも
                     パワーアップしてる…(・・;) )



お察しが良い方はもうお気付きですね。

人々がそれを見て、

楊井(柳井)と名付けたと言われています。

                                          おわり。


…え?


続きは?

………

\(^o^)/ググってくださ~い★

イテテ




                              もう…
ウソウソ m(__)m









また出港したんですが、

鳴門にさしかかるとまた嵐が…

懐中していた黄金の観音像に

姫が祈りを捧げていると声が。


「この嵐は龍神の怒りである!

   長者が屋敷を広げる時に沼を埋め、

   龍神が殺された。

   その妻がお前の命をずっと

    つけ狙っているのだ。

    お前が龍神の生け贄にならねば

    決して嵐はおさまぬ…」





アホな…


「…この場所でこのような災難が2度と

   起こらぬ様、私の身を捧げます。

   …向こうに見える山に葬ってください。

    この瀬戸を見守り

    迷える人々の導きとなりましょう。」



ひ、姫さん!

なんて健気な…(つд⊂)!

……


仮の世に     なに嘆くらん    浮船の

     いずくを宿と   さだめおかねば




この歌を詠み、荒波に飛び込みました。





海より引き上げられた姫は

まだ生きていました。

「黄金・七宝の玉の箱・姥柳の楊枝・

   綾綿を皇子に献上してください。

    玉絵姫を盛り立て、

    父母の跡を継がせるように…」

という遺言を残し、

19歳で帰らぬ人となりました。



                                     ( 神峰山からの眺め )

皇子は悲報を聞き、大変悲しみました。

供養の為に神峰山に『 般若寺 』を創建し
                      こうたいごうぐう
般若姫に『  皇太后宮  』と

おくり名を下されました。




天皇家の系譜にはもちろん

般若姫の名前はありませんが、

まぎれもなく皇子に愛されていた痕跡を

1400年経った今でも見ることが出来ます。

ちょっと大げさ!

イテテ



ちなみに聖徳太子の母君は
あなほべのはしひとのこうじょ
穴穂部間人皇女…欽明天皇の第3皇女…

異母兄妹の婚姻は

よくあることでした~★


アイタタタ


( タイトルから随分離れたね…(-""-;) )