久しぶりのブログの更新ですが、
今回はかなり長いです。
と、最初から言っておきますw
今日8月12日は、亡き叔母の命日。
叔母(私の母の妹)の名は、本名:越川長子。
元タカラジェンヌなので、本名より
多分、芸名の「清月輝」という名前の方が、
ネットで色々出てくるかと。
因みにタカラジェンヌ当時の叔母の写真は
これ↓
写真での記憶しかないのですが
めっちゃ綺麗な人でした。
叔母の事を書くと年もばれると思うが、
でも、今回は年ばれ位、何さ~っ!
って感じで、ブログに書きます。
偶々叔母の写真が手に入ったのもあり、
こういう事は、自分中でもまとめて書いておきたい
…て、気持ちもあって、長文だけど書きます。
で、元タカラジェンヌの叔母は、
中学3年で受験した時にはヅカは不合格で
公立高校に通いながら、高校1年の時に再度受験。
見事合格し、晴れて宝塚音楽学校に入学し
卒業後は、そのまま宝塚歌劇団に入団。
とにかく凄い努力家で
何よりも負けず嫌いだったらしく、
下の記事に書いている文が読めるかわからないが
吉村雄輝(元人間国宝・ピーターの実父)師匠に師事し
かなり厳しい稽古でも絶対根を上げない位の
根性があったらしい。
(隣に写っているのは、私の祖母)
残っている叔母の写真でしか観ることは出来ないが
ただ綺麗で美人だけでなく
努力をとにかく重ねてきた人だと思う。
で、去年は無かったけれど
知らぬ間に叔母の事をWikiに書いてくれて人がいたようで
上のリンク先の「清月輝」ところで大体の事がわかるけれど
両親や祖母に聞いた話等を、私もざっと書いていきます。
Wikiの「清月輝」の所にも書いてあるが
関西にある「池田銀行」(現:池田泉州銀行)の
初代イメージガールであり
タカラジェンヌになって、
僅か3年で主役をもらった程。
叔母は優秀であった…と、祖母や母から聞いているし、
その事はWikiにも書いてある。
因みに、その主役をもらった!という日は
偶然にも私が生まれた日で、
当時、おじいちゃんがおばあちゃんが
「盆と正月が一緒にきたようやねぇ~」
と、凄く喜んでいたらしい。
Wikiによると
「1969年5月に宝塚大劇場で行われた『鐘つき与七』
の主役をしっかりつとめたらしい。
まさに「これからスターになっていく人」で
階段も用意されていたのに
その1年後の後に色んな事が待っているとは、
その当時は誰も思わなかった…と、思う。
和歌山の母方の実家の家は、
土地柄なのか、占いとか呪術的な事とか非常に信じる家で
(だから、私が「占い師の仕事をする!」と、言ったら
「ドンドンやれ!」と言われたのだが…)
無論、タカラジェンヌである、叔母の事も占われていて
その時、ある呪術師に
「この子は、海外に行ったら死ぬ運命にあり
短命で、下手したら18歳位で死ぬだろう」
と、言われていたため、
「台湾に行きたい」と叔母が行った時には
一家総出で止めたらしく、
おじいちゃんなどは、叔母のパスポートを破り捨てた位
皆が叔母が海外にいく事を反対していた。
…のだが、
叔母は家族に内緒で台湾に行ってしまった。
台湾の花蓮等を私の父の知り合いである
商社マンに案内してもらったらしく
普段、あまり高価なものを買わない叔母が
物凄くデカくて綺麗で高価なヒスイの指輪を
花蓮で購入して
台北に戻るギリギリまで
案内してくれた人に
「綺麗でしょう~」「とても似合っているでしょう?」
と、言いながら、見送られ、飛行機に乗って行った…との事。
そして、その数時間後…
「中華航空206便墜落事故」の被害者となってしまった。
自宅では、現役タカラジェンヌが
飛行機事故で亡くなったため、
それはそれは当時は大騒ぎで
ここぞとばかりに実家に昼夜問わず
電話が掛かってきたり
実家にまで押しかけたりして
マスコミの取材攻撃が酷く、大変だったらしい。
(この辺は今も昔もマスコミは変わらずだよね)
私の父が、叔母の訃報後、直ぐに台北に向かい
まぁ…飛行機が落ちた時の遺体といえば
大体皆さんどんな状態か想像出来ると思い
割愛させて頂きますが
遺体には、花蓮で買った指輪がしっかりと指にはめられており
それで叔母だと核心した…と、聞いた覚えがある。
なので、台湾で荼毘に付されて
日本には無言の帰宅となってしまった。
多分だけれども、
この写真が台湾で撮った写真かな?
(詳しくは、今度聞いておきます)
まだまだ、やりたい事も沢山あっただろうし
何よりあの美貌の上に非常に努力家だったらしいので
ただただ残念だ…とは私は思うのだが、
最近になってから、母が
「人生には『おまけの5年』と言うのがあってね、
人間には寿命が必ず有り、いつかは人は死ぬが
神様が、頑張った人には『おまけの5年』を与えてくれて
その間は思いっきり生きられる。
叔母ちゃんは、残りの5年を宝塚で過ごし
主役もとってやるだけやったから満足しているんじゃないかな?」
と、ぽそっと言ったのを聞いた。
ただ、私個人としては、
上にも書いたように
「美人薄命というけれども、薄命過ぎるよ!22歳だよ!」
って気持ちの方が大きい。
綺麗な叔母だが、結構お茶目な所や
包み隠さない素直な所があったらしく、
叔母は見た目パッとしない、
うちの父との見合いの話を
(うちの両親は見合い結婚)を
てっきり母が断る…と、思っていたらしく、
和歌山の自宅で、父と母と両祖父母と
結婚を前提に話を進めていく…
という話し合いをしていた時に
帰ってきてドアを開けた途端、
「おねーちゃん、あの見合いの話はもう断ったん~?」
と、父の居る所で言ってしまい
非常~に気まずい雰囲気になった事や、
私が生まれて間もない時には
寝ている私を、足で蹴る真似をしていた時に
ふすまをバッと開けられて
その姿を父だか誰かに見られて
上げた足をどこにやろうか…
と、暫く片足立ちで絶えていた…とか
結構楽しいエピソード等もあり
もっと生きていて話が聞けたら良かったなぁ…
って、思ったりも…
まぁ、そのパッとしない父が
飛行機落ちた後に台湾に行って
叔母の遺骨を持って帰ってくるとは
流石に叔母も考え付かなかったことだろうかと。
それと、ご存知の方も多いと思うが
私は台湾が大好きで
大体、年に1回の割合で行っている。
父や母から、飛行機事故が起こった所が
丁度「円山大飯店」の近くらしい。
台北に行くには、必ずと言っていいほど
円山大飯店は見えるので
毎年「今年もおばちゃん来たよ~」と
帰る時には「またくるね~」と
近くを通る度に毎回思っている。
毎年、台湾に行くのも
自然に足がむいてしまうのかな?
と、思ったりもします。
台湾から帰国後は疲れていても
何かスッキリする感覚もあるし…
で、またまた話はそれるが
今年になってから従姉弟たちが
バンドやDJ等の音楽活動をやっていて
凄く頑張っている事を聞いた。
母方の方は、そういう芸能関係の血があるのかな?
と、先日行った夏フェスで
従姉弟が演奏しているステージを観ていながら
ふとそう思ったりもして…
因みに従姉弟はバンドでギターをやっており、
ステージを今回ちゃんとみたのだが
(今までちゃんと見ていなかった…すまぬ!w)
激しくも凛々しく、非常に格好良くて
自慢の従姉弟でもあり
今後の活躍も凄く期待している。
ただ、従姉弟が出て来た時に、
おじいちゃんそっくりだったのにはビックリしたわw
友人に言わすと、
従姉弟と私は目と頬骨の辺りがそっくりらしい。
う~ん…
どうやら、私は
目から上は母方、鼻から下は父方みたい?
叔母の写真等観ていると
「うわ~同じ遺伝子持ちながらも、
叔母はこんなに美人で、私とは全然違う~羨ましい~っ!」
「母方に似ていたら、人生もっと変わっていたかも?」
などと思う事も正直多々あるが
まぁ、こればっかりは仕方が無いわなw
なお、従姉弟達の顔も非常に整っており
美男、美女である。
こちらに関しても「同じ遺伝子なのに…」
と、ついついすねてしまうwww
顔はタカラジェンヌが親族に居たにもかかわらず
私の顔は、ちっともイケてませんし
芸事よりも、占術の道を選んでしまったので。
選んだからには芸事も占術の道も一緒!
私は、私なりの道を
しっかり頑張らないとな!
…と、叔母のWikiを観る度に思うところも
凄くあったりして
今後の活動も頑張っていきたいなって思います。
超~長文だけれども
読んでくれた人、ありがとう。
最近になってWikiにまとめられたりしているけれども
写真等は全然なくて
少しでも
「こういう、タカラジェンヌが居たんだよ」
って知ってもらえれば良いなぁ…
叔母も喜ぶかなぁ~
と、思って書きました。
話などは、最初にもふれましたが
主に母、父、祖母等から聞いて書きました。
当時生まれてはいましたがまだ赤ん坊だったので。
付き合ってくださった皆様、ありがとうございます。
※因みに、叔母のWikiのページには
「1965年に和歌山県立星林高等学校を卒業後」
と、書いてあるのだが、
母と祖母、両方に確認した所
「星林高校には1年しか通っていないし、卒業もしていない」
「ズカの入学が決まったのは1年の時だから、これは間違い」
と、2人が同じ事を言うので間違えないと思うが
Wikiって勝手にこっちで直せたり写真載せたり出来るのかなぁ?
教えて!偉い人!!!
※叔母が初代イメージガールだった池田銀行だが
4代目のイメージガールの北原遥子さんも
日本航空123便墜落事故で亡くなっているんだよね。
【補足】
今、確認したら、北原遥子さんが乗っていて事故にあわれた
日本航空123便も1985年8月12日に落ちているんだね。
叔母さんの事故の日と同じ日…というのは
さっきまで知らなくて、ビックリした。
どちらも、ご冥福をお祈りいたします。