毎日あっという間に過ぎて、

気付けば6月も後半びっくり


ここ最近もいろいろあり、

毎日脳みそフル回転で考えて考えて悩んで落ち込んで…寝て忘れて、また頑張る…


そんな毎日を送ってます笑い泣き




元不登校の長女も、

いろんな感情と闘っている様子も見受けられ、

たまーに心配になるときあるけど



アドバイスはしないことにして、

ただただ聴く、

ただ寄り添って聴く、

それだけを意識して過ごすようにしたら、

なんとなくうまく境界線を保てるようになってきた?かなニコニコ



次女も高校受験の年やし、

たまにピリピリしている時もあるガーン

以前なら、そんな次女に対してイライラしたりしてた私やけど、

最近はそんな姿を見ても平穏でいられるようになった?気がするニコニコ



不登校の中学生三女に対しても、

そんな生き方もあるしなってくらいの気持ちで見てられるし、

そうしているうちに、

三女も自分自身で道を探し始めた気がするニコニコ



やっぱり、

子どもたちはすごいおねがいおねがいおねがい



頭がやらかい照れ照れ照れ



私もそうなりたーい笑い泣き笑い泣き笑い泣き


母が亡くなってから、

ちょうど四十九日が経った。


まだ、母がこの世にいないことを信じきれていないというか、

ふと会えるんちゃうかって思うくらいで…




毎朝、

写真に向かって「おはよう、お母さん」から始まって、

コーヒーを2人分入れて白飯を供えて…

花瓶の水換えて、お水も入れ替えて、

線香をあげる。


これが、母が亡くなってからの朝のルーティン。




こんなに早くお別れすることになるとは、

ほんまに想像してなかった。


母がステージ4の癌とわかってからも、

なんやかんや癌とうまく共存しちゃうんちゃうか?みたいな雰囲気やったし。


ほんまに弱ってきたのは、

亡くなる1ヶ月半くらい前あたりから。


それまでは薬でコントロール出来てた痛みが一気に悪化し、

歩くのが大変になった。


家の中で車椅子は狭くて使えなくて、

コロコロが付いた椅子に座ってトイレ移動とかし始めた。


始めは、

母を乗せて椅子を押すのが面白かったけど、

夜中にも数回起こされる日が何日も続くと、

やっぱりイライラしちゃったり…


それでも母は、

トイレに行くことを最期まで諦めない人やったから、

足に力が入らず自力では立てなくなってからも、

介助しながらトイレに座らせてた。


結局、亡くなる一週間前まで母娘で必死でトイレに行ったな。


今思えば、めっちゃ頑張った!!




終末期せん妄で発する母の言葉は、

母がまだ生きたい、どこにも行きたくないって気持ちを強く感じることばかりで、

聞いていて辛かった。

「大丈夫やで、どこにも行かないで良いよ」って伝えることしか出来ひんかった。




最期の一週間になると、

日に日に状態が悪くなるのがわかった。


薬も坐薬になったけど、

母は私に全て任せてくれた。


信じてくれてるんやなって感じた。


母が亡くなる当日も、

朦朧とした意識の中で苦しそうな母を楽にさせてあげたくて、

不穏時に使う坐薬を入れたら…


母はその後から深い眠りに入り、

そのまま息を引き取った。




毎日思う。


あの時、坐薬を入れなかったら、

もう少しだけ長く生きていられたんちゃうかって。


私が母の寿命を縮めたんちゃうかって。


それを思うと、

辛くて泣きたくなる。










長女が不登校の時は、

担任の先生があれやこれやと声をかけてくれて、


その当時は、

ちょっと放っといてもらえますか?!みたいに感じた時も多々あったけど笑い泣き



今、三女に対する登校刺激が全くなくて…



楽と言えばそうやけど、

それ以上に感じる寂しさショボーン



嘘でも連絡もらえませんかーーー??えーん



それでなくても忙しい先生方の時間を奪って申し訳ないとほんまに思ってるけど、

たった1教科だけやけど、

頑張って受けたテストの返却くらい、

直接娘に手渡ししてもらいたいって思うのは、

私の親な勝手な思いなんやろうかショボーン



今朝、学校へメールで、

「先週もらってないプリント類と、

受けられなかったテストをもらえませんか?」

って送ったら、



「テストの採点も終わっているので、

今日ポストへ入れておきます。」

みたいなメールがきた。



なんか…



素っ気ないわ〜悲しい