母が亡くなってから、
ちょうど四十九日が経った。
まだ、母がこの世にいないことを信じきれていないというか、
ふと会えるんちゃうかって思うくらいで…
毎朝、
写真に向かって「おはよう、お母さん」から始まって、
コーヒーを2人分入れて白飯を供えて…
花瓶の水換えて、お水も入れ替えて、
線香をあげる。
これが、母が亡くなってからの朝のルーティン。
こんなに早くお別れすることになるとは、
ほんまに想像してなかった。
母がステージ4の癌とわかってからも、
なんやかんや癌とうまく共存しちゃうんちゃうか?みたいな雰囲気やったし。
ほんまに弱ってきたのは、
亡くなる1ヶ月半くらい前あたりから。
それまでは薬でコントロール出来てた痛みが一気に悪化し、
歩くのが大変になった。
家の中で車椅子は狭くて使えなくて、
コロコロが付いた椅子に座ってトイレ移動とかし始めた。
始めは、
母を乗せて椅子を押すのが面白かったけど、
夜中にも数回起こされる日が何日も続くと、
やっぱりイライラしちゃったり…
それでも母は、
トイレに行くことを最期まで諦めない人やったから、
足に力が入らず自力では立てなくなってからも、
介助しながらトイレに座らせてた。
結局、亡くなる一週間前まで母娘で必死でトイレに行ったな。
今思えば、めっちゃ頑張った!!
終末期せん妄で発する母の言葉は、
母がまだ生きたい、どこにも行きたくないって気持ちを強く感じることばかりで、
聞いていて辛かった。
「大丈夫やで、どこにも行かないで良いよ」って伝えることしか出来ひんかった。
最期の一週間になると、
日に日に状態が悪くなるのがわかった。
薬も坐薬になったけど、
母は私に全て任せてくれた。
信じてくれてるんやなって感じた。
母が亡くなる当日も、
朦朧とした意識の中で苦しそうな母を楽にさせてあげたくて、
不穏時に使う坐薬を入れたら…
母はその後から深い眠りに入り、
そのまま息を引き取った。
毎日思う。
あの時、坐薬を入れなかったら、
もう少しだけ長く生きていられたんちゃうかって。
私が母の寿命を縮めたんちゃうかって。
それを思うと、
辛くて泣きたくなる。