長崎リプルクラブ -5ページ目

長崎リプルクラブ

子どもの資質・才能を
育てる方法

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● [おめでとう]と言われなかった -⑤


私は、分娩室に2時間ほど待機させられていた。
「お部屋が空いていないので、少し待っていてください」
という説明だった。
その間に夫を呼んで、子どもの病状説明をするため
には、2時間という時間が必要だったからだ。
私は、何の疑いもなく待っていた。
そして、その間、少し眠っていた。


「お部屋の準備ができましたから」という看護師さんの
声で目を覚まし、ストレッチャーで大部屋に移送された。
廊下で夫が待っていた。


「男の子だったよ」と言って、子どもの足型のついた
用紙を見せると、「あ々」と頷いただけですぐに目を
そらし、「よう頑張ったな」と言って私の頭を撫でた。
心なしか顔色が悪い。
初めてのお産で、緊張しているのだと思った。


この時夫は、医師から子どもの病状説明を受けた
後だった。
後についた病名は、両とう骨欠損(両手第1指欠損)
・内反手・両手指関節拘縮症で、左手第1指が
わずかに動く程度で、その他の指と、前腕の機能は
全廃していた。


子どもに面会したときの夫の衝撃は、
どれくらいであったろうと思う。
目の前が真っ暗になり、医師の説明が終わって
廊下に出たときは、足元がふらついて
歩けなかったと言う。
しかし、私は何も知らずに分娩室から出て来るのだ。
すぐに平静を装わなければいけない。
何事もなかったように振る舞わなければ
いけなかったのだ。


「貴大はどうしてた?どっちに似てた?」
「保育器の中に入っとったけん、顔はよう見えんやった」
「いつ逢えると?明日くらいかなあ」
一人ではしゃいでいた私の言葉を、夫はどんな想いで
聞いていたのだろう。その時のことを考えると、
申し訳ない気持ちで一杯になる。



● おめでとうといわれなかった -④


何分か経ってから、「木場さん、男の子ですよ」と
先生から聞かされた。
性別を教えてもらうまでに何分か間があったので、
私は、産まれてきた子どもは、あの弱々しい声から
察して、てっきり女の子だろうと勝手に予想していた。
夫がどんなにがっかりするだろう等と思うくらいの時間も
あったのです。


「えー、男の子ですか?よかった~」
というのが、親となった私の第一声です。
女の子だと思ったら男の子だった。
夫の喜ぶ顔が浮かんだ。
この時は、何故だか不安な想いより嬉しいと思う
気持ちのほうが強かった。

「2290gか!思ったより小さかったね」と
、続いて先生が言われた。

“あ々、保育器に入るんだな”と思った。

子どもの顔はすぐには見せてもらえなかった。
普通は、母親の近くまで連れて来て対面させて
くれる筈なのだが。
不審に思い、キョロキョロと子どもの姿を探すと、
丁度、足型を取るために、はだけた産着の裾から
両足が見えた。
元気にバタバタさせて、どこにも異常はない。

その後、身体を隠すようにして産着を着せられた
子どもと面会した。

「わあ~、小さい」と言いながら、横顔を5秒ほど
眺めただけだった。
本当は、顔に触れたかったし、抱きたかったし、
もう少し見ていたかった。
夫に、「どっちに似ていた?」と聞かれたときに
「どっち似」だと答えられるようにと思ったからだ。

看護師さんは、何やらとても急いでいた。
「もう、いいですね。保育器に入れますからね」と言った。
“あ々、それで急いでいるのか”と思った。

顔と両足は何ともなかった。
それだけで私は、五体満足だと盲信してしまった。


今にして思えば不自然なことばかりだったが、
周りの状況が不自然であればあるほど、
それを認めたくないという気持ちが自然に働いて、
安心材料だけを探していたのかもしれない。


先生は何もおっしゃらなかったし、
子どもは取りあえず無事に産まれたのだ。
大丈夫!何もなかったんだ!と自分に言い聞かせて
それで終わった。






● おめでとうと言われなかった  -③ 

分娩室に入ったのは、7時頃だったと思う。

せっかく覚えた呼吸法も役にはたたず、
痛みはピークに達していた。

死ぬのではないかと思う程の痛みの後、やっと、
子どもは産まれた。



その瞬間、医師と助産婦さんが、
顔を見合わせたような気がした。

赤ちゃんは、すぐには泣かなかった。


「先生、五体満足ですか?」
喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
怖くて聞けなかったからです。
質問しない代わりに雰囲気で

判断しようと、耳をそば立ててそして、
表情をじっと観察した。

しかし、顔色で読みとることは無理だった。


その内「ふぎゃ~」という弱々しい産声が聞こえた。
期待していた「おぎゃあ~~」という威勢のいい声では
なかったが、
貴大の第一声だった。


“弱々しい けれど生きているのは間違いない”
無事に産まれたのだと思った。
泣き声を聞いた途端に涙が溢れてきた。


生まれたらすぐに性別を教えてくれて、「おめでとう」の
言葉をかけてもらい、胎脂のついてままの赤ちゃんを
抱かせてくれるのが普通だと思っていた。
けれど、貴大の場合はそれがなかった。
ほとんど、無言で処置をしていた。


子どもの両腕を見た瞬間、性別も、おめでとうの言葉も
かけられなかったのだと思う。
障害の程度が重ければ重いほど、
母親にはすぐには知らせないのが、
暗黙のうちの了解である。





「おめでとう」と言われなかった -②

胸騒ぎを感じながらも、夕方から始まった陣痛の間隔が
10分毎になる頃には、神経は痛みのほうに集中していった。

病院に電話をすると、「入院の準備をして来てください」と
言われた。
夫の帰りを待って連れて行ってもらったが、病院に着くと、
車に同乗して来てもらった叔母と夫から、両脇を
支えられなければ歩けないほどだったので、陣痛は、
5分間隔になっていたかもしれない。


私は、健康でさえあればどちらでもよかったのだが、
夫は、男の子を希望した。
「後継ぎ」ということもあったらしいが、一番の理由は、
息子が20歳になったときに一緒にお酒を呑みたい
というものだ。


酒を酌み交わす相手は男の子でなければいけない。
だから、その願いを叶えるためには、どうしても男の子
だったのだ。

貴大が障害を持って生まれ、病気がちで入退院を
繰り返してもその願いは持ち続けた。
「たか、早く大きくなれよ、一緒に酒ば呑もうで」と、
口癖のように言っていた。
ついに夢は叶わなかったが、貴大が20歳になったら、
香台(仏壇)の前に座って、2人で酒を酌み交わす
のだと言う。


3月17日、午前1時頃から、陣痛の間隔は3分毎
になっていた。
1分という時間が1時間のように長く感じた。
大分、時間がたっただろうと思って時計を見ると、
1分しか進んでいなくてがっかりした。
痛みの中で思うことは“早く産まれてほしい”
ということだけだった。
2分から1分毎の陣痛のためほとんど眠れず
これがいつまで続くのだろうと思いながら朝を迎えた。



● 「おめでとう」と言われなかった  ー①

出産予定日は、昭和62年3月1日で、奇しくもこの日は
私の父の命日だった。

予定日が近づくにつれ何だか落ちつかなくなり、
入院の準備品を詰めたバックを感度も確認したり、
家事が苦手な夫のための箇条書きにしたメモに
目を通したりしていた。


予定日が10日過ぎても子どもが産まれる気配は
なかったので、掛かり付けの病院で陣痛を誘発する
注射をしてもらう。
しかし、翌日になっても兆候はなく、結局、
注射をしてから4日後の3月16日の夕方になって
ようやく陣痛が始まった。


この日の朝、私は妙な夢を見た。
手術室のような目も開けられないくらいの照明の中に、
ベットがポツンと置いてあって、裸になった赤ちゃんが
一人寝ていた。
その子が私の子どもだと言う。


わが子と聞いて、早く抱きしめたいと思いベットに
駆け寄った。しかし、いざ抱こうとするとベットが前方に
すーっと平行移動するのだ。
「どうして?」と思いながらまた、駆け寄って抱こうと
するとすーっと移動する。そういううことを3、4回
繰り返した後にベットごと赤ちゃんも消えてしまい、
とうとう抱けないまま夢から覚めた。


「何で、あんな夢をみたんだろう」
ぼんやりした意識の中で、最初から夢の全容を
思いだしてみた。
その瞬間、心臓が凍りつくような想いがした。
赤ちゃんは、両手首から先がなかったような
気がしたからだ。


もしかして、生まれてくる子は、両手がないのでは・・・?
まさか・・・そんなことがある筈はない。私達の子どもに、
私達にそんなことが起こる筈はない。
たまたま、そんな夢を見ただけだ・・・。

不安を打ち消そうと、急いで夢の中の赤ちゃんに5本の
 
もみじのような両手をイメージした。
しかし、一度感じた不安な想いは波紋のように広がり
容易には消えなかった。


この日の夢は、貴大が生まれてから3ヵ月もの間
抱くことができなかった私達と、両手に障害を持って
生まれるという貴大の将来を暗示していたのかもしれない。




お礼にかえて

貴大と共に ―ぼくのためにありがとう―

●お礼にかえて

はじめまして。
ぼくのなまえは こばたかひろ です。
お母さんからはなしはぜんぶききました。
ぼくのためにありがとう。

  ―移植を前に、お世話になった方への手紙から―   

 この本は、短かったけれど充実していた貴大の6年間を
伝えたくて、私の記憶が鮮明な内にと、綴ったものです。
障害を持って難病を抱えて生まれたことは、ある時期苦
しかったけれど、それは決して不幸なことではなかった、
ということをどうしても書きたいと思いました。
それはきっと、貴大自身が一番望んでいることでもあると
思います

「苦しかったけれど、みんなに助けられて支えられて、
みんなに愛されて貴大は幸せだったよ」と。

もはや、それを伝えることができなくなった最愛の息子に
代わり、感謝の言葉を伝えたい。
      ぼくのためにありがとう



目次

    ●お礼にかえて

第1章 妊娠7ヶ月から1歳まで
    ●お母さん、ぼくがんばれるよ
    ●おめでとうと言われなかった
    ●わが子の障害を初めて目にして
    ●今日から親子3人の生活が始まる
    ●生後6ヶ月半、言葉を話す
    ●ファーター症候群という病名
    ●食道の通過障害が始まる

第2章 1歳
    ●一人歩きを始めるようになると
    ●先天性四肢障害児父母の会との出会い
    ●広島大学医学部附属病院へ通院する
    ●育児ノイローゼ
    ●この子はほめて育てよう

第3章 2歳
    ●小人症では?
    ●2歳1カ月、貴大失踪する
    ●保育園に行く
    ●尿道ブジ―をしましょう
    ●入園面接に行く

第4章 3歳
    ●聖マリア幼稚園と幼児教育
    ●ぼくの手は生まれつき
    ●貴大の初恋
    ●お母さん、ワープロを習わせなさい
    ●幼稚園に行きたい

第5章 4歳
    ●誕生日の会話
    ●喘息の治療が始まる
    ●どうして手が曲がってるの?
    ●ぼく、何でもできるんです
    ●永久歯の先天欠損
    ●乱視
    ●運動会といも掘り遠足
    ●感染症を繰り返す
    ●ファンコニー貧血発見される
    ●貧血の治療が始まる

第6章 5歳
    ●誕生日の会話
    ●骨髄バンクに登録する
    ●年長組に進級したけれど
    ●5歳5ヵ月までの様子
    ●来年は小学生
    ●初めての家族旅行
    ●ファンコニー貧血再燃する
    ●貴大の病気はファンコニー貧血なの?
    ●この子には時間がない

第7章 6歳
    ●病院で迎えた誕生日
    ●外の空気を吸ってみたい
    ●移植の提供者を求めて
    ●HLAが一致した
    ●貴大と同じお友達がいたんだね
    ●聖マリア学院小学校とたんぽぽ学級
    ●T大学病院への受診
    ●移植をすることに
    ●T大学病院へ転院する
    ●今日から無菌室
    ●移植が終わった
    ●お母さん、ぼくもう頑張れない
    ●別離(わかれ)
    ●お家へ帰ろうね

第8章 7歳
    ●誕生日に貴大が帰って来た
    ●聖母マリア像の設立
    ●一周忌を前に

第9章 貴大のこと
    ●長期入院とおもちゃ
    ●兄弟
    ●貴大と父親
    ●貴大のこと

第10章 貴大への手紙・貴大からの手紙
    ●1歳
    ●2歳
    ●3歳
    ●4歳
    ●6歳
    ●7歳

    ●お世話になった方々へ
    ●病歴
    ●あとがき



Y先生がこんなふうに仰いました。


FAの子どもたちは可愛いんですよね。

優しいんです。

その優しさが世界を救うんですよ。




闘病生活に耐えて、子どもらしい生活を送ることが

ままならなかったあなたたちが、元気になり、穏やかに
健やかに、毎日を暮らせるようになりましたね。



辛い無菌室での体験が、痛みや優しさへの理解に
つながっていき、どのシーンも無駄には
ならないのだと思っています。



これからも、人生を謳歌してください。

愉しんでくださいね。


私達は、あなたたちがいつまでも健やかに暮らせる
ことを願っています。








ファンコニー貧血と診断されたご家族の皆様へ

現在は、ファンコニー貧血専門の病院、
骨髄移植により、成功率が高くなり、
移植後10年経過している子どもたちが
大勢います。


ファンコニー貧血と診断されたご家族の皆様、
専門の病院にて受診されてください。


そこには、移植をして元気になった仲間が、
沢山いらっしゃいます。

経験者からのアドバイスもしてもらえます。
ご連絡してみてください。


移植を経験されたご家族の皆様


心配はつきませんが、子ども達の健やかな成長を
願って、情報を交換できる場になればとの想いも
あり、新しく開設してみました。


このブログは、息子達の体験を載せたもの
なので、個人差の大きいFAの子どもたちに
該当するアドバイスがあるかどうか、
わかりませんが、息子たちに行って来た
リハビリ、EQ・IQの伸ばし方、
才能の見つけ方、不登校・いじめへの対応、
ストレスケア、心と体の癒し方等を
アップしていく予定です。


何か、お役にたつことがあれば幸いです。


リンク
ファンコニー貧血のための掲示板
http://8619.teacup.com/ym/bbs 



管理人 オフィスこば連絡先
お問い合わせはこちらからも   
  
        ↓
 メールoffice-koba1@softbank.ne.jp
 携帯090-6488-1956
 




ファンコニー貧血について



血球に分化する造血幹細胞が減ると、血球が作られなくなるので貧血が起こります。
この仕組みで起きる貧血のことを再生不良性貧血といい、昔は再生不能性貧血や汎骨髄癆とも呼ばれていました。
貧血のなかでは特に治療が難しい種類といわれており、特定疾患に指定されています。

再生不良性貧血を発病する人は、世界的にみてもかなり少ないです。
患者数は、欧米では年間100万人に2~3人、日本では5~6人の割合でしかみられません。
男性よりも女性に若干多くみられ、10代と70代での発症が目立つという特徴もあります。

先天性のものと後天性のものがある

再生不良性貧血には、先天性のものと後天性のものがあります。
このうち先天性の再生不良性貧血のことを、先天性再生不良性貧血もしくはファンコニー貧血といいます。

ファンコニー貧血の原因は、生まれつきの遺伝子の異常です。
遺伝子異常によって、造血幹細胞に細胞がプログラム死するアポトーシスが起こりやすくなるため、血球が減り貧血が引き起こされます。


昔はファンコニー貧血の子供は、成長して大人になることすら難しいと言われていました。
しかし現在では、効果的な支持療法や造血回復を図る治療法がありますので、決して長生き不可能ではなくなっています。

危険な病気を合併しやすい!

ファンコニー貧血や後天性の再生不良性貧血の症状は、さまざまです。
自覚症状には息苦しさ、動悸、めまい、出血が止まらない等がありますが、病態が軽度から中等度の場合は、検査を受けるまで気が付かないことも珍しくありません。

このほかにも、顔色が悪くなる、皮下出血により赤黒いアザができる、眼球の網膜から出血する眼底出血が起きるといった症状が表れます。

合併症は、治療せずにいると命を落としかねない重篤なものが多いです。
多臓器不全に陥る敗血症、あちこちの血管で血液が凝固する播種性血管内凝固症候群、ヘモクロマトーシス、心肥大、心不全、不整脈、糖尿病などが例として挙げられます。

支持療法や骨髄移植などで治療する

再生不良性貧血の診断には、末梢血塗沫標本検査、血清生化学検査、血液機能検査、骨髄シンチグラフィ、骨髄穿刺など多種の検査が必要です。

治療法は重症度や年齢などを考慮し、慎重に選択しなければいけません。
なお、再生不良性貧血の程度には軽症、中等症、重症の3つがありますが、それぞれは小顆粒球と血小板と毛赤血球の数によって分類されています。

治療法には大きく、支持療法と造血回復を目的とした治療の2種類があります。

前者の支持療法とは、生活の質を高めるための療法のことであり、この貧血に対しては、輸血や白血球の産出を促すG-CSFの投与を行います。

後者の治療法は多種で、免疫抑制療法、蛋白同化ホルモン療法、骨髄移植などがあります。
ただし副作用があるため経過の観察が重要であり、合併症にも注意しなければいけません



http://hink2cure.jp/b05aroma.html
  より引用



 





中央法規出版より、平成11年に出版されたもので
障害や病気の子どもをもつ家族19人の体験が
書かれた本です。


ご依頼を受け、長男、二男の闘病体験を
手記提供しました。


平成20年までに、14刷、増刷されたロングセラー
本で、医療従事者を中心に今なお、愛読されて
いるそうです。 詳細はこちらから


長男の他界後二男が生まれ、同じ病気だとわかった
ときの想いや、同じ病棟で骨髄移植を受けるときの
生きた心地がしなかったこと、


移植は成功したものの、長男は、孤独な闘いの末、
最期を迎えたことを思うと、諸手を挙げて喜べなかった
心境のとき、主治医の「お兄ちゃんが守ってくれた
のだと思います」という一言に救われ、自責の念から
解放されたこと、


2刷目の「障害をもつ子が育つということ」は、
移植前の入退院を繰り返していた頃から移植が
成功し、二男のスキンヘッドの頭を撫でながら、
ランドセルを背負って、桜の季節の入学式を
心待ちにしているところまでを書いています。



稀少難病のため、情報が少なく、発見されにくいため、
この疾患だと解らずになくなるケースもあり、
その少ない情報を探し求めたこと、


治療法は骨髄移植しかなく、その間、入退院を
繰り返し、子どもらしい生活が送れないこと、
合併症により、好奇の目にさらされること、


ファンコニー貧血についての正しい理解を
していただけるように、詳細に書いております。


ファンコニー貧血の子どもたちが、闘病生活から
解放され、子どもらしい生活を送り、健やかに
成長する過程を
見守っていただければと思います。