今回も

(1) 『米国を破滅に導くポリティカルコレクトネスの事例』

(2) 『シアトル当局者、「潜在的な侮蔑語」を禁止』

という2つの記事で紹介されている事例について書きたいと思う。

 

事例 5

 

=======引用開始========

 

米内務省は、「気候変動否定論者」を排除している。

 

=======引用終了========

 

俺は、この辺りに全く明るくないから

「気候変動」に関しては、肯定論者の話を聞いても、

否定論者の話を聞いても

どっちも正しく聞こえてしまう。

 

単なる感想だが・・・

 

肯定論者の説は、何らかの「利権」が絡んでいるような印象を受ける。

 

一方、否定論者を全面的に支持する気にもなれない。

 

俺自身の体感では、「子供の頃より暑い」と感じるからだ。

 

子供の頃から極度の暑がりで、夏期に外出する時は

保冷剤が必需品だった。

しかし、今では11月に入ってからも

保冷剤を首に巻いて外出することもある。

 

事例 6

 

=======引用開始========

 

インディアナ州のボールステイト大学では

「大学の学術的な信頼性を棄損する」という理由で

「知能設計」 (Intelligent Design、以下ID) について講義することを禁じた。

 

=======引用終了========

 

「IDって何だ?」、と思ったので、ちょっとだけ調べた。

 

ID理論では

「宇宙や生命体などが有する一部の機能や特徴

自然淘汰など法則性の無い一連の作用ではなく

『知性的因子』 (Intelligent Cause) が介在して設計されている」

と述べている。

 

なんだかよく分からん。

 

「キリスト教原理主義者」「進化論否定論者」の一派のようだが

ID論者達は否定しており、「正当な科学者だ」と主張している。

 

長くなるし、理解不能だから書かないが

説明文を読めば読むほど、「オカルト」の臭いが漂ってくる。

 

科学的な知識ゼロの俺が、こういうことを言うのは申し訳ないが

とてもではないが、「科学」だとは思えない。

 

上記の2例は

「ポリティカルコレクトネス」の問題というよりも

「倫理」の問題なんじゃないか?

 

「事例5」は、「気候変動否定論者」を排除することにより

建設的な議論が阻害される。

 

「事例6」については、「ID理論」を大学の授業で教えること

「サイエントロジー」のような新興カルト宗教を

大学の授業で布教するようなもんだろ。

 

大丈夫か?、米国の皆さん。

 

どこに向かっているのか? その(6)

随分前のことになるが

「いきなり電話を掛けるのは非常識?」、という記事を読んだ。

 

電話を掛ける前に、予めメールLINE

「電話を掛けてもいいか?」

と事前に確認しろってことなんだって。

 

このことに対して、40代以上の人達は

「なんでイチイチ、電話を掛ける許可を取らなければいけないんだ」

と困惑しているそうだ。

 

まぁ、LINEが出現する前のメールしかなかった段階

「おそらく、将来は電話を掛ける前に、メールで確認という風潮になるだろうな」

とは薄々、予感していた。

 

なぜならば、俺の世代以下は

友人の家に行く前に、必ず「今、行っても大丈夫か?」

と確認することが既に習慣化していたからだ。

 

俺よりも上の40代、50代以上の世代の人達は

予告無しに、いきなり俺の家に来て

1時間くらい居座ったりすることもある。

 

ハッキリ言って甚だしく迷惑なのだが

無下に「帰れ!!!」とも言えない。

 

予測していたことなので

俺は、「電話を掛ける前に確認すること」に関して

全く抵抗が無い。

 

ただし、確かに「仕事の電話」に限っては

「事前確認しろ」、っていうのは行き過ぎだと思う。

 

それから、一つ困ったことがある。

 

上の世代の人達にメールで

「今から電話を掛けてもいいですか?」

と確認すると

向こうから電話を掛けてくれたりする。

 

これは、非常に申し訳なく感じる。

 

あたかも、俺が

「電話を掛けてこいよ」

と催促していると思われているんじゃないかと不安になる。

 

だから、同世代より下の人達には

「事前確認」をしてから電話を掛ける。

 

上の世代の人達には、「事前確認」をせず

いきなり電話を掛けるようにしている。

 

めんどくせぇ世の中だな。

今日、江崎道朗著

 

 

 

という本を読んだ。

 

同書には、「ヴェノナ文書」「コミンテルン」「アメリカ共産党」

などのことが詳述されているので

江崎氏は、諜報関連について専門的に研究している方だと思う。

 

この本を読んで、俺が一番気になったのは

"White Guilt"

 

同書によると、米国では

「白人であることは罪であり

黒人など少数者を批判することは

人種差別になる」

という教育が施されているとのことだ。

 

「支那人、朝鮮人に対する批判は

内容に拘わらず、ヘイトスピーチ認定」

っていう日本の在日支那人・朝鮮人様優遇措置と同じだな。

 

そんで、俺は今まで

『集団的解放運動』

『米国の大学生の性交渉』

『言語は単なる意思疎通の道具ではない』

『言葉狩りと言葉の変化』

『撤去・名称変更運動』

『新公民権運動』

『被害者文化の暴走』

『どこに向かっているのか』

などの記事を

「支那人、朝鮮人、それから共産主義者

関係があるんじゃないか?」

と、半分、冗談で、半分、本気で

そして半信半疑で書いた。

 

 

しかし、江崎氏の著書を読了した今

俺が書いてきたことは

全部、真実なんじゃないかと思えてきた。