『70年代の小児性愛者擁護運動 その(1)』の続き

 

=======引用開始========

 

前出のジャーナリストによると

「1976年、私は『薬物依存症救済協会』 (Release、R) という団体で

薬物中毒の人々を支援する活動を始めたのだが

それで、PIEのことを初めて知った。

PIEは、その事務所を郵便物の宛先として利用していた。

PIEの知名度が低い時代だったからできたことだ。

『脂ぎった変態親父』の見本みたいな奴が

週に一度、やって来ては郵便物を回収していた。

徐々にPIEに対する疑念が強くなったため

一度、Rの会合に招待することにした。

 

その会合で、『合意の上での性行為を可能にする年齢』について

PIEの会員に質問すると

『年齢制限は撤廃すべきだ』との答えが返ってきた。

Rの会員は

『PIEというのは、『乳幼児との性行為』を肯定する団体なのか!!!』

と衝撃を受け、満場一致で『出入り禁止』にした」

 

因みに、PIEの会員になるには

申請書と4ポンドの小切手を提出するだけでよい。

1977年に発生した恐喝事件の裁判記録よると

犯人はPIEの入会希望者

申請書には、「小児性愛者」、「男性」、「既婚」、「29歳」

「性欲の対象: 7歳から13歳の少女」

と記入されていたそうだ。

 

PIEの指導者の1人キース・ホーズの厚顔無恥な発言が

新聞に引用され、当時の人々は衝撃を受けた。

「自慢げに言うようなことでも無いけれど、俺は『小児性愛者』だ。

性欲の対象は10歳から12歳くらいまでの少年。

これまでに、子供達と肉体関係を結んだこともあるよ

 

1977年9月にもガーディアン紙のインタビューを受けているが

聞き手はホーズの言葉に自分の耳を疑った。

PIEがメディアから支援を受けられないことに真剣に腹を立て

批判的な記事に対して「英国新聞界の陰謀」と罵った。

ホーズにしてみれば、ガーディアン紙はリベラルな高級紙だから

「小児性愛者」を擁護する側に回ってくれると期待していたという訳だ。

 

1975年にガーディアン紙が記事で「小児性愛者」を取り上げた頃は

まだ世間一般に知られている言葉では無かった。

だから、記事は

「『小児性愛者』とは、子供達に対して性欲を抱く人々のことである」

という書き出しで始まる。

 

このように、批判的な意見が大勢を占める中

PIEの活動を擁護する人々もいた。

 

1977年、進歩的文化人の団体による

「同性愛者にも平等の権利を付与するための会合」において

驚くなかれ、圧倒的多数の賛成で

「メディアによるPIEに対する嫌がらせ行為を糾弾する決議」

が可決された。

 

「青年リベラル同盟」 (Young Liberals、YL) の議長が

「小児性愛」のことを「全く不快な異常性欲」と表現したところ

同志の活動家から激しく反論された。

「残念なことだが、議長は、PIEを批判する側に回ったようだ。

しかし、彼の見解がYLの見解を代表している訳では無い」

 

ガーディアン紙のコラムニストがYLの議長を擁護したところ

「子供との性行為を正当化する人々」から批判の手紙が殺到した。

 

同紙は、「PIEが受け入れられ始めているのではないか?」と

「PIEの拡大」による懸念を表明し、明らかに動揺していた。

 

1976年10月の時点で、会員数は200名。

ロンドン支部、ミドルセックス支部の他にも地域支部があり

支部を増やす計画もあった。

また、「小児性愛者」だけでなく

「女性」「異性愛者の男性」も会員として受け入れることにより

更なる勢力拡大を狙っていた。

 

会員の中には、この方針に不満を持つ者もいた。

「性的指向」は違えども

「リベラルな思想信条を持つ人々」を広く受け入れ始めたからだ。

 

「言論の自由」についても論争が起こった。

 

ある哲学者は

「PIEのような団体のために、言論の自由も一部犠牲にしなければならない」

と主張した。

 

1983年9月、タイムズ紙は記事で

「『小児性愛者』に告白を強要してはならない。

個人が悪癖を公表する場合、異論を唱えることは止めて

沈黙を保つようにしなければならない」、と書いた。

 

これらの意見は、「PIE擁護」と解釈できる。

 

更にはPIEを嫌悪していた「国民戦線」 (National Front NL) にも

PIEを擁護する者がいた。

 

ピーター・カドガンという人物だが

ただし、彼の場合は、異なる視点から擁護した。

「誰かから嫌がらせを受けたとしても、私はその人物の言論の自由を擁護する。

譬え、その嫌がらせをしたのが私が忌み嫌っているPIEだったとしてもだ。

愚か者は、放っておけば、勝手に自滅への道を進んでくれる」

 

彼の予言は的中し、1982年、PIEに大打撃を与える出来事が起こる。

GCHQの軍事機密をソ連に漏洩した罪で懲役32年の判決を受けた

KGBの工作員ジェフリー・プライムがPIEの会員で

何人もの幼女を強姦していたことが判明したのだ。

 

更に、1983年、スコットランドヤードがPIEに対して潜入捜査を実施し

ボーイスカウトの隊長がPIEの会員であることが暴露されて解雇される

という事件も起きた。

 

なお、その時点で会員はおよそ1000人もいた。

 

それでも、NCCLは、PIEの擁護を続け

「『合意の上での性行為を可能にする年齢』を14歳に引き下げろ」

というPIEの主張に賛同した。

 

しかし、このような状況を警察当局が放置しておくわけも無く

PIEの壊滅を狙い

議長であるオキャロルを「公衆道徳の破壊を企図した罪」

で逮捕した。

懲役2年の判決が下され

その結果、1984年にPIEは解散するに至った。

 

現代 (2014年) の価値観に基づけば

PIEのような団体が10年間も公然と活動を継続できた事実は

俄かには信じ難い。

しかも、「小児性愛」という言葉がほぼ禁句だった時代である。

しかし、だからこそ団体の名称に「小児性愛者」

という言葉を使うことができたとも言える。

 

=======引用終了========

 

PIEの活動は、1984年に終焉したけど

『小児性愛者に公民権を付与しよう』と企む奴らは

目立たないところで活動しているみたいだよ。

『小児性愛者に同性愛者と同等の権利を』という記事に

「『小児性愛者にも、同性愛者と同等の権利を付与せよ』という主張は

昨日今日、突然始まったものではない」

と書いた。

 

How did the pro-paedophile group PIE exist openly for 10 years?

(小児性愛者支援団体 “PIE” が10年間も公然と活動できた訳)

という記事を引用して

1974年から1984年まで続いた

「小児性愛者擁護運動」について紹介したい。

 

同記事には、「同性愛に対する批判」のような文言もあるが

俺は、「同性愛」に関しては別に差別的な感情は無いことを最初に断わっておく。

 

因みに、昨年の米国大統領選挙が行なわれていた時に

ポリティカルコレクトネス (以下、PC) が日本でも人口に膾炙したが

PCは、70年代には既に存在し

この運動もPCに関連するものである。

 

=======引用開始========

 

「小児性愛者情報交換ネットワーク」

(The Paedophile Information Exchange、PIE)

「全英市民自由促進協議会」の系列団体として、1974年から1984年まで

(National Council for Civil Liberties)

(現National Council for Civil Liberty、NCCL)

公然と「小児性愛者の権利確保の活動」に勤しんでいた。

 

「暗黒世界における悪夢の物語 (ディストピア)」のようだが

英国シェフィールドで実際に起きた話であり

「小児性愛者」 (Paedophile) という言葉をその名称に冠した団体が

表立って活動することは、一般の人々に相当の動揺を与えた。

 

では当時、どのようにしてPIEは表舞台に躍り出てきたのか?

 

直接のきっかけは、PIEで指導的立場にあったハリエット・ハーマンが

デイリーメール紙に連載記事を執筆していたことだが

その背後には

「同性愛者権利擁護協会」

(Gay Rights Conference、GRC)

による支援があった。

 

ただし、後述するが

PIEへの支援が「同性愛者」にとって裏目に出てしまう。

 

1974年当時のPIEの活動について

NCCLの専従職員だったハーマン夫妻が次のように語っている。

 

「PIEが設立されたのは1974年で

『子供の性的指向』について宣伝活動を始めた。

 

政府に対して

『合意の上での性行為を可能にする年齢を定めた法律の撤廃』

あるいは、『係る年齢の引き下げ』を要求した。

また、『成人が合意の上で未成年と性行為を行なう場合の

違法性を除去するための支援』も実施していた。

 

つまり、PIEの真の目的は

『子供との性行為の一般化』であった」

 

当時のジャーナリストは

「PIEは、『50歳の男が5歳の子供と性行為をして、何が悪いんだ!!!』

と声高に叫ぶわけでは無い。

『子供の性の解放運動』という形で

『子供にだって性行為を行なう権利がある』

と主張するという戦略を取っていた」、と振り返る。

 

現在では、PIEのような主張は下火になっている。

しかし、当時は、専門機関や進歩的文化人の団体から支援を受け

学生自治会主催の講演会にも引く手数多だった。

また、PIEに同調するメディアは好意的に取り上げ

PIEの主張を積極的に普及させようとする学者までいた・・・

 

というような記述もあるわけだが

これはどうも虚構のプロパガンダ臭い。

 

ただし、PIEの擁護者は、皆無ではなかった。

この件については、『70年代の小児性愛者擁護運動 その(2)』に譲る。

 

タイムズ誌のコラムニストはによると

「70年代、PIEは決して受け入れられていたわけでは無い。

私の記憶では、一般人の逆鱗に触れ、『悪辣な団体』と認識されていた」

 

PIEが大学で講演を行なうことが公表されると、頻繁に反対の声が上がり

1977年にPIE議長トム・オキャロル

「愛情と性欲に関する協議会」から追放されている。

 

一方でPIEの機関紙は

「オキャロルが多くの大学で学生に向けて講演を行なった」

とプロパガンダ記事を掲載していたのだが

地域の反対に合って中止になることがほとんどというのが実情のようだ。

 

さて、

『同性愛者の権利保護』『小児性愛』を結び付ける」

というのもPIEの戦略の一つだった。

 

したがって

当時は「同性愛」「小児性愛」が同一視されることにより

「同性愛者」が偏見に晒され、身の危険を感じていた。

 

それも当然の話で、「同性愛」が合法化されたのは1967年だが

「同性愛者」は、偏見の目で見られ差別されていた。

法律も公平性を欠き

異性愛者の場合、「合意の上での性行為」は「16歳」で認められていた一方

同性愛者の場合は「21歳」だった。

 

PIEは、「性の解放運動 (Sexual Liberation)」というスローガンの下に

過激分子を活動に引き込もうとしていた。

1970年代は、特に粋がっている若者を中心に

「解放 (Liberation)」という魔法の言葉を聞くと

無批判に受け入れてしまう風潮があった。

 

現代において、「差別された」と主張する者

無批判に「被害者」「弱者」と規定して

「絶対に批判してはいけない存在」に奉るのと同じ構図だ。

 

だから、PIEが大手を振って街を歩けた、という側面もある。

 

誰でも参加できる公開討論の場では

「成人と子供との性行為は無害である」

と堂々と主張する人も散見された。

 

=======引用終了========

 

続く

高校生時代、山岳部に所属していた。

 

山歩きなんかには、全く興味が無かったが

「練習」と称して毎日、自分達で「料理」して

どんちゃん騒ぎができるから入部した。

 

もちろん、アルコールは無いが。

 

因みに、所謂「飯盒炊爨」とか、「飯盒炊飯」ではなく

あくまでも、「料理」、あるいは、「調理」

 

山岳競技では、「飯盒の使用は禁止」されているからだ。

 

なぜかというと、「米の炊き具合が審査対象」となっており

飯盒で米を炊くと、どのチームも同レベルの炊き上がりになってしまうためだ。

 

だから、「コッフェル」と呼ばれる鍋を使って米を炊く規則になっている。

 

山岳競技は、基本的に「減点法」

最初の持ち点「100点」から減点されていく。

(注: 競技会の運営方法は、各都道府県によって異なる。

ここに書くことは、あくまでも、俺が参加した山梨県大会のこと)

 

例えば、1チームに2人の監視員が付いて

山を歩いている最中に躓いたら、減点1

炊いた米に芯があったら、減点1

設営したテントに皺があったら、減点1

歩いている最中に靴紐が解けたら、減点1

などなど

 

そんな中、唯一、得点を稼げる種目がある。

 

「筆記試験」だ。

 

「筆記試験」がある競技って山岳以外にもあるんだろうか?

 

俺が初めて参加した、県内新人戦では

開会式の後、講堂のようなところに選手全員が集められて

「筆記試験」を始めるよう指示された。

 

これはラッキーだった。

 

なぜかというと・・・

 

「30キロくらいの荷物を背負って、山中を全力疾走しながら

地図を頼りにチェックポイントを通過してゴールを目指す」

というオリエンテーリングのような種目がある。

 

最悪の場合、この種目の最終チェックポイント

息も絶え絶えになりながら、「筆記試験」が課される場合があるからだ。

 

さて、とにかく「筆記試験」が始まった。

 

「山にゴミを捨ててはいけない。○か×か」、みたいなマナーの問題なら

馬鹿な俺でもできる。

 

問題は、「天気図」だ。

 

俺は、度外れて頭が悪い。

 

「気圧」なんて言われても、何のことやらサッパリ分からない。

 

でも、大丈夫!!!

 

「筆記試験」といっても、個人で解答するわけでは無く

チームで相談して解答するから

頭の良いチームメイトに全部お任せ!!!

 

目出度く、10点満点を獲得し

持ち点は「110点」になったのでした。

 

めでたし、めでたし

 

って、まだ終わりじゃないよ。

 

最後に、今回の本題だよ。

 

山でキャンプなどをする時など

「煙草のポイ捨て」は絶対に止めて欲しい。

 

俺達が山歩きの練習に使っていた山で、山火事が発生し

数ヶ月間、立ち入り禁止になったことがあった。

 

原因は、山菜取りに来ていた馬鹿が捨てた煙草。

 

譬え、煙草を踏み潰して火種を完全に消したとしても

少なくとも「4時間」は油断できない。

 

その馬鹿の証言によると

出火したのは、煙草を踏み潰して消してから数時間後。

 

つまり、数時間後に煙草の火種が復活して

山火事を招いてしまったってわけだ。

 

俺も愛煙家だが、吸殻を灰皿からゴミ箱に移す時には

必ず、水を掛けて処理している。

 

嫌煙運動によって、喫煙者の数はかなり減ったと思うけど

煙草の火の始末は慎重にした方がいいと思うんだな。