『小児性愛者に同性愛者と同等の権利を』という記事に

「『小児性愛者にも、同性愛者と同等の権利を付与せよ』という主張は

昨日今日、突然始まったものではない」

と書いた。

 

How did the pro-paedophile group PIE exist openly for 10 years?

(小児性愛者支援団体 “PIE” が10年間も公然と活動できた訳)

という記事を引用して

1974年から1984年まで続いた

「小児性愛者擁護運動」について紹介したい。

 

同記事には、「同性愛に対する批判」のような文言もあるが

俺は、「同性愛」に関しては別に差別的な感情は無いことを最初に断わっておく。

 

因みに、昨年の米国大統領選挙が行なわれていた時に

ポリティカルコレクトネス (以下、PC) が日本でも人口に膾炙したが

PCは、70年代には既に存在し

この運動もPCに関連するものである。

 

=======引用開始========

 

「小児性愛者情報交換ネットワーク」

(The Paedophile Information Exchange、PIE)

「全英市民自由促進協議会」の系列団体として、1974年から1984年まで

(National Council for Civil Liberties)

(現National Council for Civil Liberty、NCCL)

公然と「小児性愛者の権利確保の活動」に勤しんでいた。

 

「暗黒世界における悪夢の物語 (ディストピア)」のようだが

英国シェフィールドで実際に起きた話であり

「小児性愛者」 (Paedophile) という言葉をその名称に冠した団体が

表立って活動することは、一般の人々に相当の動揺を与えた。

 

では当時、どのようにしてPIEは表舞台に躍り出てきたのか?

 

直接のきっかけは、PIEで指導的立場にあったハリエット・ハーマンが

デイリーメール紙に連載記事を執筆していたことだが

その背後には

「同性愛者権利擁護協会」

(Gay Rights Conference、GRC)

による支援があった。

 

ただし、後述するが

PIEへの支援が「同性愛者」にとって裏目に出てしまう。

 

1974年当時のPIEの活動について

NCCLの専従職員だったハーマン夫妻が次のように語っている。

 

「PIEが設立されたのは1974年で

『子供の性的指向』について宣伝活動を始めた。

 

政府に対して

『合意の上での性行為を可能にする年齢を定めた法律の撤廃』

あるいは、『係る年齢の引き下げ』を要求した。

また、『成人が合意の上で未成年と性行為を行なう場合の

違法性を除去するための支援』も実施していた。

 

つまり、PIEの真の目的は

『子供との性行為の一般化』であった」

 

当時のジャーナリストは

「PIEは、『50歳の男が5歳の子供と性行為をして、何が悪いんだ!!!』

と声高に叫ぶわけでは無い。

『子供の性の解放運動』という形で

『子供にだって性行為を行なう権利がある』

と主張するという戦略を取っていた」、と振り返る。

 

現在では、PIEのような主張は下火になっている。

しかし、当時は、専門機関や進歩的文化人の団体から支援を受け

学生自治会主催の講演会にも引く手数多だった。

また、PIEに同調するメディアは好意的に取り上げ

PIEの主張を積極的に普及させようとする学者までいた・・・

 

というような記述もあるわけだが

これはどうも虚構のプロパガンダ臭い。

 

ただし、PIEの擁護者は、皆無ではなかった。

この件については、『70年代の小児性愛者擁護運動 その(2)』に譲る。

 

タイムズ誌のコラムニストはによると

「70年代、PIEは決して受け入れられていたわけでは無い。

私の記憶では、一般人の逆鱗に触れ、『悪辣な団体』と認識されていた」

 

PIEが大学で講演を行なうことが公表されると、頻繁に反対の声が上がり

1977年にPIE議長トム・オキャロル

「愛情と性欲に関する協議会」から追放されている。

 

一方でPIEの機関紙は

「オキャロルが多くの大学で学生に向けて講演を行なった」

とプロパガンダ記事を掲載していたのだが

地域の反対に合って中止になることがほとんどというのが実情のようだ。

 

さて、

『同性愛者の権利保護』『小児性愛』を結び付ける」

というのもPIEの戦略の一つだった。

 

したがって

当時は「同性愛」「小児性愛」が同一視されることにより

「同性愛者」が偏見に晒され、身の危険を感じていた。

 

それも当然の話で、「同性愛」が合法化されたのは1967年だが

「同性愛者」は、偏見の目で見られ差別されていた。

法律も公平性を欠き

異性愛者の場合、「合意の上での性行為」は「16歳」で認められていた一方

同性愛者の場合は「21歳」だった。

 

PIEは、「性の解放運動 (Sexual Liberation)」というスローガンの下に

過激分子を活動に引き込もうとしていた。

1970年代は、特に粋がっている若者を中心に

「解放 (Liberation)」という魔法の言葉を聞くと

無批判に受け入れてしまう風潮があった。

 

現代において、「差別された」と主張する者

無批判に「被害者」「弱者」と規定して

「絶対に批判してはいけない存在」に奉るのと同じ構図だ。

 

だから、PIEが大手を振って街を歩けた、という側面もある。

 

誰でも参加できる公開討論の場では

「成人と子供との性行為は無害である」

と堂々と主張する人も散見された。

 

=======引用終了========

 

続く